ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

SNSの明暗をどうするか

自分と他人の間における想像力の欠如や無知から、突発的な不運に見舞われるケースを、SNSでよく見かける。

それに対するリアクションは、#metooみたいに私はもう我慢しないというような爆発か、不運が招く恐怖に萎縮してして何もできないという結果になるか。不運・不遇・不満に対してやり返すか、やり込められるかという極論になることがほとんどのように思う。

 


なぜ、この中間的なリアクションが生まれてこないのか?

それは、意見の違う人間同士が意見をすり合わせるコストを払う気も、違いを埋める気力・時間を、誰も持ち合わせてないからかもしれない。

そういう意見の不一致やフラストレーションの発散、 ハラスメントに対して、正論で切り替えして相手に恥をかかせても、そういう人間には何も伝わらないと思う。よりフラストレーションを増大させているというか。

そういうことに対して、爆発せず、萎縮せず、互いに背筋を正して生きるというのは、どういうやり方があるのかな?と最近良く考える。答えは出ませんが。

 

SNSで過激な言葉を書いて溜飲を下げるような、人間の浅ましさが、どうもSNSで悪目立ちする結果が増えているのだと思う。

傾向として個人がバズりたいというような気持ちで、書きなぐるテキストが、社会を分断させ、個人を孤立させる結果になっているんじゃないか。

人間が社会的に分断されることへのいらだちもあるけど、分断されることに喜んで加担していく人が多いのはなぜなのか?自分だけは、これを言っても(書いても)許されるとでも言いたいような。

それは、自分のフォローされている範囲でほとんど見られていないから、やっぱり多少の犯罪まがいの行為も、問題にならないという考えじゃないのか?

似たような事案で思いつくのが、バカッター(アルバイトが起こすSNSでの不祥事)をバカにして笑ってる人多いけど、社会を分断させるようなことに加担しているのも、似たようなことのように思う。

ただバズりたいだけの軽薄なツイートで、お互い自分の不遇をなすりつけあう分断社会に持ち込まれて、社会全体も不遇になっていくの、すごくバカバカしいと思いません?

他人の不遇で飯がうまいなんて。


金と心の余裕のない社会が生きづらいなんて、自明だと思うんだけど。

どうやったら、美しいとか、楽しい世の中を実現できるのか?

誰かを見下してゲラゲラ笑う楽しさでなく、お互いの不運を笑って見送るような形。


行政や国が介入する問題じゃないし、誰か個人が一方的に負担を背負うべきだとも思わない。個人同士がお互いを評価して階級付けするような、評価社会も望んでない。


人間誰でも、不運に見舞われたりして失敗するし、そういうときのセーフティネットがあることの安心感をつくることが、優先されることなのかも。

寛容な社会って、どうやって実現できるのか全然わからない。


半径5mの生活を幸せにすることから始まるのかな?

SNSから離れるのがいいのかな?

と、答えのないまま終わります。