ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

続けられることを自分なりに


どんな業界にもキラキラに輝く有名人がいる。

その人に憧れて同じ業界に入ったり、その人そのものになりたいと思って頑張る人を何人もみてきた。

でも1日が48時間になるくらい頑張ったとしても、その人になれるわけではない。

なぜか。

歩んできた人生や、過ごしてきた環境が違うから。あるいは残酷かもしれないけれど、親からの遺伝で受け継いでいる資質が違うから。

ここでくれぐれも書いておきたいのは、頑張りが足りないという結論にしないほうが、幸せだろうということ。

 

じゃぁ憧れの人を目指す意味がないかと言うと、そういうわけではない。

私が生きていく中で目指すところは、社会の中でお互いの長所を活かせることだと思っている。

だから憧れの人になりたいと思い、才能伸ばそうとすることは、自分で自分の才能を見極められるようになるところに意味があると思う。

 

憧れの人の劣化コピーになれたらそれでいい、と思っている人も世の中には結構いたりする。

個人的には、憧れの人に近づこうとしたけれど完コピできなかったという結果が見えたとき、そこからどうするかがポイントになると思う。

コピーしきれない、あるいはコピーからはみ出してしまうところが、魅力や長所になればすばらしい。

自分に足りないところ、自分のはみ出したところに自己肯定感を持ち、前に進んでいく気持ちを持ち続ける。それを役立ててくれる人が現れるのを待つ、もしくは自分で役立てられるようになる。

 

「そんな、いつ来るかわからないことを、すっと続けられない」と思われたかもしれない。

それに対して書けるのは、自分が無理なく続けられるペース、頻度で続ければいいということだと思う。

どうも多くの人が、120%くらいの力が出せると思って目標を立て、たとえば出せる力が目標の70%だとわかったら、50%も足りないと思い、やめてしまっているように感じる。

そこに並行してあるのが、隣の芝生は青いだろう。

70%なら70%なりの活かし方があるはずで、同じジャンルを続けていってもいいし、別のジャンルに移ってもいい。大事なのは別のジャンルに移っても、前のジャンルで得た70%の活かし方を考えることだろう。

 

競馬がほぼ毎週末開催されるように、人生も長短ありつつも、だいたいは続いていく。

メインレースで大金を注ぎ込んだ馬券を外して、視野が狭くなりがちな最終レースで一発逆転を狙うというのは、あまり良い考えではない。

競馬が好きで最終レースまで残っていられるなら、無理なく競馬を楽しめるようにしたい。