ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

自分の写真が下手だと思ったら

 「自分の写真は下手だな」と思うことには、2つの方向からの見方があると思います。

他人との比較

 ひとつは、他人との比較でそう思うことです。インスタやSNSに並んでいる他人の写真と比較して、自分が下手だと思うことが多いとつらいでしょうね。

 別に私は自分の写真が上手いと思っているという訳ではなく、表面的に見栄えのする写真を見て「きれいだな」とか「いいね」と思っても、写真が大量にTLに流れてくるので、ひとつひとつの写真を覚えておらず、直接的に自分の作風が影響されることは少ないです。

 

 ちなみに私が上手いと思う写真の基準は、例えば写真を見た2週間後にその写真を思い出せるか、という基準です。写真の第一印象は、とにかく目を引くことを覚えようとしますが、2週間もたつとディテールはおろか、おぼろげなイメージすら思い出せなかったりします。少なくとも、記憶力の低い私はそうです。

 でも2週間どころか、数年経っても「○○さんと言えば、あの写真だなぁ」と思いだせる写真があります。思い出せる/出せないの差が、何なのかまだ私には言語化できませんが、厳然とその差は存在しています。ちょっと思うのは、見た写真と自分が対話したかどうか、と言うことのような気もしますが、気のせいかもしれません。

 このことは自分が上手く撮れたと思うこととは関係なく、写真を見た相手の中にあるので、その感想を聞くことが無ければ、永遠に知ることの無いことです。自分から誰かの写真への感想をあまり言わないので、そういうことを言えるようになっていきたいと、Zineをみていて思いました。

 

自分の世界観との比較

 話を戻して、「自分の写真が下手だ」と思うもうひとつは、自分の中にあるイメージを、写真で再現できたかどうかという、自分の世界観と自分の成果物との比較です。

 この点においては、自分は下手ですし、よく反省します。

 シャッターを切るときに、自分のイメージがしっかり立っていることは、あまりありません。ごく稀に上手く行くことがあるくらいです。しかし撮りながら考えていくというスタイルでもいいと思います。

 写真は、撮った後で自分のイメージとのすり合わせをしてもいいと思いますが、私は自分の撮った写真が、自分の気持ちというパズルのどこに収まるピースを撮ったのかを把握するのも苦手です。

 

 この点において私が長らく思っているのは、自分の引き出しの少なさだと思っています。写真を見る目が無いと自暴自棄に書くこともありますが、ならばもっと写真集を観る/読むなど、自分ができることはまだまだあるのが現状だと思います。

 また、自分の写真を振り返る時間を、最近あまりとっていないことも大きいのかもしれません。写真はPCなどのモニターで見返すことでもできますが、まず写真をプリントしなくなって久しいことが影響しているように思います。自分の写真との対話が必要ですね。

 

おわりに

 私はいくら素敵な写真を見ても、自分が撮れる写真は、良くも悪くも自分の分身みたいなものでしかないと思っています。

 撮った写真を盛っても、メッキしてもいいと思いますが、写真が大量に溢れるこの世の中で、写真は何のためにあるのかな?ということを思います。

 きっと、写真を撮る・見せる場面ごとに優先順位は変わるのでしょう。そんな中でも本質を見つけたいとは思いますが、時代によって変わるものも大きいと思います。