ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

中身と外観

 アートコンペに出していた写真が選外になりました。良くないけど、まあいいのです。(負け惜しみだけど)

 写真で賞が欲しいと思ったり、お話を書いて有名になりたいと思ったり、「人並みの欲が、自分にあるんだな~」と改めて思いました。

 が、大事なのは賞をもらうことでも、有名になることでもないのではないか、とも思うのです。(負け惜しみもあるけど、割と真剣に)

 大事なのは、写真なら自分が見たい世界を写真に写し撮ること、小説なら自分が読みたいお話を書くこと、なんじゃないかなと。

 そういうことをよく忘れるので、今日は書いておきます。

 

見ない世界を見えるように

 よく初めてカメラを持った人が、目に見えてる通りに写真に記録できない、と嘆く話を聞くことがありましたが、私からするとそうじゃない、という話でもあるのです。

 私はそういう人に、カメラを使いこなせるようになることで、自分の眼に見えている状態と差がないような写真が撮れるようになると話していたかもしれません。それは嘘じゃないです。

 でも眼に見えるままの写真は、カメラの撮像素子の性能からして、人間の眼と同等の性能は今のところない。(カメラの撮像素子は、まだまだ人間の眼に遠く及ばない性能です。)

 だから、目の前の世界をそのまま写真にするのではなく、自分の頭の中にある「創りたい写真」を目指して、シャッターを切るのが、いいカメラの使い方なのではないかなと思うのです。パウル・クレーのいう「芸術は見えないものを見えるようにする」ですね。

 もちろん、自分の記憶を補完するために写真を撮る、記念写真や食事写真がダメだ、と言いたい訳ではないのですし、私も写真係を頼まれれば、記録に徹します。

 小説のことは詳しく書けるほど知らないのですが、写真のそういう部分、頭の中にある素敵なお話をうまく言葉にできないという壁の前で、もがいてこその小説なのかな?と思っています。

 私はまだ構想したものを、きちんとお話にまとめることもできませんが。

 

創作活動の流れ

①発想と動機
②表現形式
③文法
④構成
⑤技術
⑥外観
マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論より)

 創作活動の流れは、①から入る人もいれば、⑥から入る人もいるらしいです。

 私は⑥外観から入るタイプで、自己認識では写真なら④構成くらいまで行っている気はします。

 私が写真でも小説でも、現状に満足が行かないのは、①の「どうしてそれを創ろうと思うのか」、ということが捕まえられていないからかなと思うのです。

 つまり、私の創っているもの(写真や小説)は、⑥外観は人目に耐えられるかもしれないが、中身がないと感じているのです。

 そして、自分から誰かに伝えたいことは、本当にあるのかな?と思うのです。

 私にとって、①発想と動機、は目指す最終地点でしょう。(無いのかもしれないけど)

 でも今手を付けている写真や小説以外の②表現形式、例えば絵を描くことであったり、音楽をつくることであったり、書を書くことが、自分にとって最適な表現形式なのかもしれません。(そこを迷うのかよ、と言う話でもありますが)

 もっと若いころに、いろいろな表現方法を勉強しておけばと言っても始まりません。人生の残り時間も多くはないです。1度きりの人生で、使う時間を分散せるのは、いい戦略ではない。


今後

 私がお話を書くときは、プロットを書きます。そのために、ある程度の読書をします。

 読書をしても、いろいろな迷いは断ち切れないでしょうが、いい戦略がみつかもしれないという期待はあります。

 日々の作業はありますが、しばらくは、この先の戦略を見つけるための読書をしようかなと思っています。