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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

重さを考えて

雑記

 最近、ツイッターを眺めている時間がかなり長くなっていて、下手をすると1日中TweetdeckでTLを追いかけていたりする。Twitterはニュースフィードと考えて、TLを追いかけていたのだけれど、それにしては時間を重点的に使いすぎていて、他のこと、書いたり、写真を撮ることが億劫になっている気がする。

 Twitterは即時性が大切だと思っていることが、TLに張り付かせているようにも思う。友人の間で、ネタがワッと盛り上がるとき、そこに参加していたいと思わせるようになっている。でもさすがに、1日中TLを眺めているのも、時間の使い方としてどうなのか?ということを考え始めた。

 

 今日は久しぶりに考えながら書くので、まとまらなくて長い話になります。

 

 1日の大半の時間をかけてTLを追っている割には、自分の利になっていることが少ないともいえるのだけれど、そういう社会的な利益の問題として考えるのは、好きじゃない視点なので、別の視点で考えよう。

 となると自分発信の情報が、どの程度の人数に、どのくらいの深さで伝えられているか、という数値化しづらいことになるのかな?まあ、これも自分の社会的利益の一部のような。

 もうちょっと付け加えると、自分が大事にしたい人が、ウェブのどこに、どれだけいるか、ということを考えて、時間配分するべきなのではないか、ということ。

 

 ツイッターは自分の使っているウェブサービスで一番フォロワーが多いから、影響力も大きいと考えることもできるけれど、本当にそうだろうか?

 同人誌の宣伝はリツイートで拡散してもらえる可能性があるので、向いていると思うけれど、生活のあれこれみたいなささやかなことを書いてみても、それについての反応はほとんどない。これまでもしょうもないことを、膨大な時間をかけてつぶやき、TLを追いかけてきたけれど、それに対する反応はすさまじく薄いと感じている。アナリティクスの数字を見ていても、誰かに伝わっている感じがしない。

 そしてSNSでは、個人の情報発信にイチイチ反応しないというスタンスでいる人は、以前よりはるかに増えたという感覚もある。SNSは見ているけど、面白かったり気に入っても、ファボなどをせずに無反応を貫いて、顔を合わせたときに、「あの時、あんなこと言ってたね。」みたいなことを言われるような。ネット上で、人間関係を可視化されるのを嫌がっているのかもしれないけど、これは単に私が嫌われ者なのかもしれない。まあいいけど。

 このブログでも、ツイッターは壁打ちテニスか、壁キャッチボールのようなものだと書いた記憶があるけれど、それでもツイッターでつぶやいてきたのは、それはしょうがなくて、自分で自分を楽しめればいいか、という理由だった。

 でもそれって、本当にしょうがないのかな?ツイッター以外の場所では、また違うんじゃない?そういうことを考えて、ウェブを利用する時間配分をした方が、いいんじゃない?

 それはSNSって、思ってるほど面白くなくなってきた、ということもあるのかもしれないけど。

 

 自分の作った同人誌にお金を払ってくれる人がいたり、自分の発信する情報を、ツイッターのフォロワーよりは人数は少ない場所だけれど、深く楽しんでくれている人がいると最近感じるようになった。

 これまでツイッターを自分の情報発信のハブのように感じ、できるだけブログもインスタも、ツイッターに流すことで反応が増えていたし、いいことだと思っていた。しかし、ここ半月くらいツイッターに流すことを止めてみて、その影響力は微々たるものだと感じるようになった。ツイッターに流すことで、ついでに見てくれる人はいるけれど、あくまでも「ついで」なのかなと。

 そうなると、ツイッターからの経由が無くなって、まんべんなく深く楽しんでくれる受け手には不便だとおもうけれど、、ウェブサービスのそれぞれの場所を、それぞれの受けての人に向けて、閉じた形でやっていくことが、いいことのように思える。その方が、より深く届いたという感覚になってきた。

 もちろん深く届いた、なんていうことは、私の錯覚かもしれない、数値化もできない。でも「毎回楽しみにしてます」ということを言われたり、そういうスタンスで反応が返ってきているのを見ると、ものすごい錯覚という訳でも無いと思う。

 となると、やっぱり深く伝わっていると感じる場所への時間配分は、やはりツイッターよりも多く配分すべきだという結論になるのではないか。

 これは何かを伝えることをマネタイズして、そこから生活するお金をいただく場合には、やはり受け手の数が重要になるけれど、自分がやろうとしていることで、お金をいただくことを重点化するつもりはないし、やっぱり数の問題ではなく深く伝わることを重視していいと思う。

 

 ただしツイッターへの時間配分を減らすと、写真を撮ったり、文章を書く時間が増えるという単純なことでもない。子どもがゲームをする時間を減らしたら、勉強するかと言ったら、そうでもないように。

 でも人間の1日は24時間しかないし、1日のうちで集中できる時間は数時間と限られていて、この集中できる時間を活かせるかどうかは、集中していない時間をどう過ごすかにかかっていることを、以前タイムログを取って覚えている。

 取ったタイムログは、だいたい負の相関で、例えば集中して写真を撮る時間が増えれば、集中して文章を書く時間は減る。唯一正の相関があったのは、軽く運動する時間を増やすと、読書する時間が増えるだけだった。1日24時間という物理的な制約からは逃げられない。

 

 またツイッターを眺めている時間は、低いエナジー投入量で、たまに笑えるネタが流れてくるような、ローリスクローリターン。もしそれをブログのネタに活かすようなことを考えているなら別だろうけど、自分はそれをするつもりはない。

 だらだらするツイッターへの時間配分が増えれば、ローリターンなので、TLを眺めることからエナジーが十分回収できず、1日に使えるエナジーの投入と回収のバランスが崩れてしまうことになる。つまり、集中しない時間の過ごし方も、ダラダラとメリハリのない悪循環になる可能性が高い。

 

 結局、自分の時間を使って何がやりたいのかということになってくる。自分の場合は、自分の創るものを楽しんでもらえるように、生活習慣を整えて集中できる時間を確保し、深く受け取ってもらえるウェブサービスにも、時間配分すること。

 ここまでツイッターがまるで悪者のように書いてきたけれど、ツイッターでこそ花開く人もいる。私がツイッターで、誰かを楽しませる力がないだけなんだ。