ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

勢いだけでは無理があると感じる日々

 最近、このブログらしいことをすっかり書けなくなってしまった。ブログを書きたいことが無いのかというと、そうでもないのだけれど。大きな理由は2つかなと思っている。

①(自分の中では)一直線にズガーンと書くことが、使っているアプリによってできなくなってしまった。

②言葉の力というか、ブログを書くこと、コミュニケーションすることのむずかしさが大きくなったから。

 

 まず①の文章を書くアプリをEvernoteから、Xmindというアプリに変えたのが大きい気がする。Xmindは、マインドマップを書くアプリだ。

 書く頻度自体は、変わってないと思う。Xmindで、下書きはたくさん書いているのだけれど、下書きで満足してしまって、それを編集したり文章にするということができなくなってしまった。

 Evernoteで文章を書いていた時は、考えていることを、もう書くのは疲れたと思うまで、あるいは書いていることが着地したかなと思うまで書いていた。

 Xmindは、順を追って書いていくこともできるけれど、その時に書いていること以外のことも、別の島に分けて書けるので、あれもこれもと書いて、書き出すことに疲れた頃には、書いていることの着地点がどこにあるのかを探し出す体力が残っておらず、下書きで「もういいや」となっているようだ。

 分枝していった島を、まとめることができるようになりたいとは思うが、自分の文章の良し悪しもはっきりわからないし、自分の書いたブログを読み返すと、最後まで読むのが難しいと感じることもある。

 自分の中では、これは自分に文章を書く基礎の技術がないのだという印象で、もっと文章術の本を読んだり、あるいは一流の人が書いた文章を読むことをしないとダメなのだろうなと思っている。

 ただし、一流の書き手といっても、例えば出版されている本なら、一流という訳でもない。ここ数カ月、本を乱読してきたけれど、「これは!」と思える本は何冊あったのか。良い文章が書かれている本を探すだけでも、この先もずっと苦労しそうだ。

 自分が書き出した下書きを、うまく包括的に書ける技術とエナジーが、うまく循環するようなことを考えないと、ブログを続けることは難しいのだろうなと思う。

 

 さて、②である。言葉で伝えること、コミュニケーションの難しさを感じるようになったことは、すごく大きい。

 理解することが難しいISのテロは日本に入ってきていない。でも日本でも理解に苦しむことがあった。相模原の殺傷事件だ。

 もっと小さくて身近なことなら、ネトウヨに傾いていく人にやめなよと言うことができないし、どんどん心を閉ざしていく人にどう接していいかわからない。

 別に世の中を動かすようなことを書きたいと思って、ブログを書いている訳ではない。ブログは、身近なひとに手紙でも書くような感覚で書いている。

 でもそれすら難しく、自分には誰かとコミュニケーションできる文章が書けないように感じるようになった。何か方向性を持ってコミュニケーションする技術なんて、もともとなかったのだろうし、単純に無力なのだと思う。相対的に見ても無力だと思うし、自分の書いたものを読み返してみるという絶対的な見方をしても無力さを感じる。

 ただ私とコミュニケーションしようとしてくれる人もまた、私と同じような無力さを感じているなら、ちょっとは光があるのかなと思う。