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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

自分の作品にときめくためのアイデアとして

 

 

 

 

 

  先日、なるほどなと思うつぶやきを見つけた。最初のツイートを見つけただけだったので、続くツイートで飛躍を感じるのか、理解が弱まるのだけれど、確かに他人の作品を判断する尺度は「ときめき」にあるような気がしてしまう。ちなみに「心がときめく○○」という表現はあんまり好きじゃないけど。

 

 なぜ他人の作品を「ときめき」で判断して、自分の作品は「完成度」で判断してしまうのだろう。私には自分の作品を客観的に見ることのむずかしさ、主観と客観の差のように思う。

 他人の作ったものがよく見えるというのが、良質なものに見えてしまうというのは自分の経験不足もあると思うけれど、あくまで客観的な視点。自分が没入してしまう視線の先にあるのは、他人の完成品が見せてくれる外観だと思う。

 一方で、自分の作品を「完成度」で見てしまうのは、自分が没入しているのが、完成までの作業だったり、自分の中で見たいと思っている世界を、いかにこの世に再現するかになると思うので、理想とする完成度から現状の完成品が、どれくらいの位置にあるのかという主観が強くなるのかなと思う。

 自分が見たいと思っている世界を再現率を高めるために、細密な下書きを書く人もいる。私の場合は自分が思い描いた主観の世界から、どれだけ膨らんだかということも重要なことだったりする。客観が入ってくるわけではないのだけれど、主観がある上にセレンディピティが入ってきたその膨らみが、自分を楽しませてくれることなのだと思う。そこには「ときめき」がある。

 他人の作品も岡目八目で判断するなら「自分なら、これをどう作るか」という視線を持って、他人の作品を主観的にも判断することになるだろうから、ただ「ときめき」だけでは判断できなくなると思う。もちろんその余地を挟まないくらい、良いものはあると信じているけど。

 編集者という役割の人が入ってくれれば、自分の作品にも客観が取り入れられるのではないかとは思うけれど、それは自分にはあまり経験が無いので、今回はここまでにしたいと思う。