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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

趣味についての走り書き

 
 あんとわさんのブログを読んだ。まとめると「にわか」にやさしくない趣味のジャンルの話、と読めたのだけれど、どうだろう。趣味をする上での人間関係に悩んだことがほとんど無いので、見当はずれなことを書くかもしれないが、何か書きたいので書いてみる。
 

趣味の敵は他人か?

 作家の森博嗣は 「健康によい、友達ができる、教養が増す、など役に立つものは趣味ではない」と書いている。この言葉は楽しいだけで趣味はできないという、戒めのように思い出す言葉だ。
 ただこれを読んでも理解できない人もいるのかもしれない。楽しいことだけしていたいと思う人もいるのかなと思うが、私は求道的なやり方を好むので、やりたいことをやるためには、一見大変なこともやりたいと思ってしまいがちだ。まあそれも私にとっては楽しいの範疇に入るが。
 
 知り合いや友人が欲しいなら、趣味を縁にするといいと、私が写真教室に通った経験からも思っている。共通の趣味があると入り口が出来て、つながりやすい。ただし、無料で通える教室とかは、いろいろ質が良くないのでおすすめしない。
 「つながり」というのは、共通の趣味があれば楽しく酒が飲める、というものでもないと思う。話をする上で、「こうありたい」、「こうしていきたい」という話をしない「つながり」は、結構簡単に切れてしまう。
 そういう話をするには、自分の趣味について相手に伝えるということが必要になってくるし、ある程度自分の趣味の続く先を見がえているようになる必要があると思う。
 
 そして趣味縁で一番気を使わないといけないのは、「自分の土俵で打ち負かしたい」と思っている人が、まれにいることだ。そういう人はいるが、常にそう思って話しているのかは分からない。
 私がそういうことを言われるときは、まず私がそのことをよく理解せずに、相手の領空侵犯すれすれをしているときの、教育的指導なのではないかと思っている。
 でも相手の空中に境界線が引かれているのは見えない。飛んでみるしかない。
 
 そして新しいことを始めたときに、旧縁の友人とばかりつながっているのもよくないと思う。これまでの趣味のつながりをみて助言してくれる人はありがたいけれど、そういう人ばかりでもない。それは友人にそのままでいてほしい、すっかり変わってしまって、縁が切れるのを嫌がっているという見方もできると思う。
 

趣味だから好き勝手に穴を掘れる

 仕事のような義務がないからこそ好き勝手にできるのだけれど、浅くやっているだけでは到達しえないもの、例えば視点とか、は確実にある。そういうものがあるから、趣味に楽しいと思える部分があるのだと思う。
 
 勉強にしても、仕事にしても、趣味も本気を出す練習をしているのだと思う。別のいい方なら、集中力の使い方、自分の集中力を使える状況を知っておくこと。
 それは、やりたかったことに巡り合えた時に、集中力がなくて空回りして悲しいことになってしまうくらいなら、普段の生活の中で集中力を持って、自分のアベレージを上げていくこと、自分を極めるようなことをしておいた方が、人生の楽しさや生き甲斐があっていいのではないかと思う。
 
 保坂和志は「人生とは早さや効率ではなく、成長と深みである」というようなことを書いていた記憶があるのだけれど、早さや効率を志向する人がいるのも知っている。
 でも成長なくして「なぜ生きるのか」というような本質には迫れないと思う。特に芸術関連のことを趣味にするなら、そういう本質へ迫っていけるように思っている。もちろん前述の人は、そんなこと求めていないだろうけれど。
 

アウトプットについて

 何かを作るときに大別するなら、言葉によるものと、言葉ではない感覚によるもの、に分けられる。自分の得意な方を選べばいいと思う。
 そこにあるのは、自分が影響を受けてきた素晴らしいものたちを、精神修養など自己完結で終わるのでなく、自分の手で作り変えてこの世で形にしてみるということだと思う。プロアマは関係ない。
 自分が素晴らしいと思うモノを、100人中100人に伝わらなくてもいいから、10人くらいに伝わるようなモノにできたら、それでいいのだと思う。
 そして趣味縁の弱いつながりより、自分のアウトプットを通じてつながれる人が見つかるという面白さもあると思う。もちろん人間関係なので、前述した、にわかに厳しい人も出てくるのだけれど。
 そういうのが嫌いだったり嫌な思いをしたなら、ウェブでごにょごにょやっていけば、どこかではそれを楽しんでくれている人がいると、信じて生きていけるのではないかと思っている。