ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

M×U ― 砂を折る ― 番外編

 うささんからのお返事とともに、ポチ袋もやってきたので、少し書いてみます。

usaurara.hatenablog.com


 私は動物園の動物たちを見ていて、囚われの身ということよりも、「生きている」ということが私の中では大きいのでしょう。
私がいて、被写体というあなたが在る、ということを確かなことがらとして認識し、相手の状況に気を向られないのだと思います。
 そのリアリティは、状況に目が行かない分、表面に視線が集中し、質感を伴うものとして認識し、皺や傷が浮かび上がります。
 私は視覚は「在る」ということを肯定する言語だと思っていて、存在を総体として視覚で肯定するなら、影もまた肯定することになるのだと思います。差異を言葉で二極化させるときに、否定が生まれるのかもしれません。
 だから肯定された影は、言葉で分極した「暗さ」という要素では受け取ることはできず、さまざまな階調で描かれる境界線のない総体として、受け取ることができるのだと思います。