読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

SNSの今の理想

雑記

 SNSの理想の姿は、趣味でつながる、もしくは趣味まで行かなくても興味がある事柄でつながることだと思っていた。つながりが増えるのがいいことだ、と思っていた。
 そこには一個人という、情報があり、マスメディアには乗らない、ささやかなおもしろさがあり、みんなでそれを共有できると思えた。
 しかし、ユーザーが増えて、みんなの興味が揃う、例えば新製品をみんなで食べてみるということはなくなったと思う。より細分化された興味に、人は独自性を見いだしているのかもしれない。
 そしてネットで遊ばない人にとって、見知らぬ人をフォローするというのは馴染まなかったようで、つながりがどんどん増えたという人は、少なかったのだと思う。

 私は炎上した経験もなく、特に問題なくSNSを使っているつもりなのだけれど、最近SNSを使いにくいとか、思っていたのと違うなという感じがある。
 私のつぶやきを見ている友人を気遣うだけでなく、友人の友人をdisらないようにしないといけないとか、とにかく制約が多くなってきているのかなと思う。
 となると、面倒がいやになった普通の人は、猫の画像か、ごはんの画像くらいしかポストできなくなってしまうのではないか。そういうことに向かわない人は、壁に向かって独り言を言っているような状態になってしまうのかな?でも思うのである、それはやっている本人は面白いのかなと。
 当初SNSの理想にあったような、興味のあることでつながるというよりも、ある種自分が特権的にSNSにアップロードできることを増やしたい、FBに見るようなリア充自慢が増えている気がする。

 そしてエアリプで可視化されるやりとり、RTも含めて、例えばAさんに向けての個人のつぶやきに、Bさんは快く思わないという、グレーゾーンなことが発生して続くことになると、ミュートするかフォローを外すしかなくなる。
 顔を合わせての会話なら、話をそちらへ行かないようにするなど、工夫はあると思うけれど、SNSでは相手が素面なのか、落ち込んでいるのかもよくわからない場合がほとんどだ。そういう相手の状況がよくわからない状態では、私人としてSNSで振る舞われても、どう感じ取ればいいのか、難しい。
 そういうSNSの難しさを、肌で感じている人は、SNS上で私人から、まるでセルフブランディングしている公人のように、振る舞うようになってきている気がする。

 しかし、SNSはやっぱりつながりが基本にはあると思っているので、差し障りのないことでつながるのは、やっぱり物足りない気がしてしまう。
 チラシの裏というような、日常のささやかなSNSの中に、個人が本当に興味のあることを追求している姿をみたりするのは、それだけでは面白くない。それを誰かに伝わるように自分で工夫できたときに、とても面白くなるのだと思う。
 そしてそういう面白さは、個人でbuzzる必要はなくて、というかそんなことは普通の人には無縁なもので、100人いたら10人くらいがわかってくれるくらいで上出来なのだと思う。
 となると誰とでもつながるのがいいことではなくて、特定のSNSの中でも限られたメンツでつながっているのが、現状のSNSでは、いいつながりなのかもしれない。