ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

真実を写す?

写真は「真実を写す」と思っている人がたくさんいるようで、カメラの売り文句も、肉眼で見えている世界が写せる、というような触れ込みを見かける。
昔々photograpyを訳した言葉は、写真という言葉と光画という言葉、両方があったのだけれど、現在では写真という言葉が主になった。目に見える光景をそのまま写せるように思いやすい言葉になったのは、不幸なことだと思う。
写真はカメラを使って撮影するものというのが、広義の写真だと思うのだけれど、シャッターを切るときカメラの中で何が起こって写真になっているかというと、フィルムやセンサーの撮像素子に光の集積が起こって画像が見られるようになる。だから光画という言葉もあった。

 

カメラが、レンズが高性能になって、どんどん精細な写真が撮れるようになって、より真実を写しているように思われやすくなっているけれど、まだまだ人間の肉眼には及んでいない。
だからカメラをあまり使いなれていない人が写真を撮った時に、思った通りに写らないということを口にする人もいるけれど、現時点ではその方向に進んでいっているが、肉眼で見えている世界を写真に切り取ろうとすると、太陽や周囲の照明だけでは不十分な写真しか撮れないので、手軽に写真を撮りたいと思っている人は、ある程度あきらめる必要がある。
ということを伝えると、がっかりされることもあるが、もし光画だと思っていれば、そういうがっかりは起こりにくいように思う。

 

光の集積を記録した画像という解釈であれば、カメラで撮影できた画像として受け取ればいいので、目で見えている世界と同じものが写っているかどうかということから、ある程度気持ちの距離をおけると思う。
そして、真実ではなく、光の画なのだから、カメラで撮る画像に遊びの気持ちを持ちやすくなれるような気がする。
しかし、カメラで撮った静止画は写真という言葉であることを今更変えられるとは思わない。「光画だったらなぁ」と思うくらいだ。

 

しかしデジタルカメラには、撮影シーン別にモードがあって、夕焼けを見た目以上に空が焼けているように写せたりするし、ちょっと昔に流行ったトイカメラや、画像をスマホアプリでフィルムで撮ったような色味に変えることも出来る。フォトショップも一般的な人が使えるアプリケーションに近づきつつあると思う。
カラー写真にそういう遊びを使うのは、肉眼で見える世界を再現するのはまだ難しいから誤魔化す、補助するという使い方もあるけれど、肉眼で見えている世界をより強調して写真にするということを考えた方が、写真遊びとしては楽しいのではないかと思う。
そのためには撮影時に、この写真の中で何を見せたいのかということを明確に意識して撮影しておかないと、あとで加工した写真ときに、雰囲気は良いけれど落ち着きの悪い写真になってしまうのではないか、と思う。