ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

M×U ― 砂を折る ― Vol.6

駆け上がる月のはやさとつめたさを

あと何度ほど思い出したら

M×U ― 砂を折る ― by 小出マワル@BoundaryRime & うさうらら@usaurara

 

場所は神奈川県横須賀市追浜(おっぱま)付近。
付近は道沿いに工場が並んでいて、雑草つまり「ねこじゃらし」は道ばたのアスファルトやコンクリートの隙間にはえている。
夜に自動車が通りかかって、ヘッドライトで雑草が照らされているのを見て、いいなと思って撮り始めたシリーズなのだけれど、私が追浜から引っ越してしまって、このシリーズは撮れなくなってしまった。
 
雑草と光源がある光景なんて、普遍的にある光景のように思っていたのだけれど、例えば他所では車道と歩道の間に柵があって邪魔だったり、この写真の背景で月のように玉ボケしている光源がないなど、なかなか揃うことのない条件なのだと、他の場所に引っ越した後になって分かった。
 
撮っている時も「ねこじゃらし」は雑草なので、昼間通りかかったときに、「ちょうど良い高さになってきたな」と見ていたら、帰り道の夜には手入れされて何も残っていないということが、よくあった。
だから雑草シリーズは、2、3回撮影できただけなのだけれど、それでも気に入った写真が撮れたのだから、撮り逃した魚の大きさを、今でも悔やんだりしている。
 
この写真を気に入っている理由は、声無き雑草たちが、車や海風に揺られているところを、夜に自動車のヘッドライトに照らされて、まるで雑草たちが、夜中にささやきあっているような雰囲気を、のぞき見ているようなところだ。当時思い知った、自分の人生も所詮は雑草の1本に過ぎないということが、写真の中で重なっている感じがして、好きだ。
 
今回うささんが読まれた短歌を読んでみて、とてもさみしい気分になった。
この「何度ほど思し出したら」の後に来る言葉は、「忘れられるのだろうか」と来るのではないか、と私が思ったからかもしれない。
 
月が天を動く早さは、私はそんなに早くないと思っているけれど、空を駆け上がる月を早く感じられるほどぼんやりと、ある意味とても集中して眺めていれば、11月の夜のつめたさも厳しく感じるだろう。
そんな長く、つめたい時間の中で、ついつい思い出してしまうことは、取り返しのつかない何かを失ってしまった悲しみのような気がする。
 
うささんほどの人間になっても、そんなことを思う時間があるのなら、自分も今のまま歳を重ねていっても、ぼんやりした生き方の人間であることに変わりがないのだろうなと思う。
でも同時に、うささんがきちんと生きられているように、私もまた生きていけるような気がしている。きちんとしているかは分からないけれど。