ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

メメント・モリ

私には死にかけたことが、これまでの人生で3度ほどある。
中でも一番新しい体験は、30歳過ぎにストレスで不整脈になり、心臓が止まってしまったときの経験だ。

 

仕事が思っているように進められなくて大きなストレスを感じていた日々だった。平日は何とか仕事に行っていたけれど、休日はずっと寝ていることしかできないくらい疲弊していた。

 

ある休日の朝、目が覚めても布団から出る気はなかった。天井を眺めていると、やたらと心臓の拍動が大きいことに気づいて、気味が悪いなと思った矢先、拍動がピタリと止まった。

がんばれば救急車を呼べたのかもしれないけれど、身体を動かす気にはなれなかった。

 

「あぁ、もう死ぬのか」
「(一人暮らしだから)腐乱死体で見つかるのは嫌だな」

 

しかし心臓が止まってしまったら、どうしようもない(と思った)。

 

「まあこんな人生だったけど、大きな後悔はないかな」
「次の人生があるなら、もう少しやりたかったことは、やりたいかな」

 

心臓が止まっただけで、大きな苦しみもなかったのもあって、気持ちは平穏だった。ただ死を待つだけ。走馬燈は見えなかった。

 

 

 

そんなことを逡巡して30秒か、1分ほど経ったとき、心臓の拍動が戻った。

 

 

 

その日を境に、寝たきりの休日を止めることにした。体力や気力をあまり使わず、出来そうなことから休日を変え始めた。

 

ひとまず通い始めたのがマンガ喫茶だった。読みたいマンガは読んでおこう、と思い「鋼の錬金術師」を全巻読んだ。
読みたいマンガが揃っているマンガ喫茶は近所になく、電車に30分ほど乗って横浜まで行くのが半年は続いた。毎週末、土日とも6時間パックでマンガ喫茶に引きこもった。
またいつ不整脈が来るかもしれなかったけれど、次に不整脈が来て、もうだめになるなら、いつでも諦めるつもりだった。

 

次に通うようになったのが映画館。会社の福利厚生で、映画が安く観られることを知って、毎週末横浜や川崎のシネコンに通った。でも何をみたかは、あまり覚えていない。1日で映画2本を観て疲れたことは覚えている。

 

そんな休日が待ち遠しくなる中で、高校生の頃写真を始めたかったことを思い出した。
当時はまだデジカメが出始めた頃で、まだまだフィルム写真が主流。バイトもしていない高校生の私には、金銭的に手が出なかった。
マンガや映画を消費するだけでなく、自分でも何か作ってみたい。そんな気持ちがあった。
「今ならデジタル一眼レフも買えるな」そう思って、ネットでデジタルカメラの情報を集めるようになって、半年後、デジタル一眼レフを買った。

 

 

 

あれから5年以上たった。あれ以来、不整脈の症状が出たことはない。
あの時、生にしがみつこうという気はなかったし、いつまた死が近づいてきても、今度も諦める気だった。だからこそ、ちょっとでも気になったことはやっておこうという気にもなった。

 

死の予感は自分から遠のいたようで、死の緊迫感も色あせた。
でもあの心臓が止まったときの感覚は忘れたくない。あそこで死んでいてもおかしくなかった、今の自分の人生は「おまけ」のようなものだ。

 

人生は急に終わったりすることがある。
いつでも「これが最後かもしれない」。

 

だからといって、睡眠時間を削って、24時間全力投球で生きようとは思わない。あくまでも自分のペースで生きればいいと思っている。
でもそういうことを、忘れないで生きていたいし、写真を続けていきたい。もちろん新しいことを始めるのにも、躊躇しないようにしていきたい。