ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

師匠がいたらなと

作家の海猫沢メロンが、ブッダが悟りを開いて千年も経つのだから、自販機でドリンクを飲めば悟りが開けるくらいになっていてもいいはずだ。というようなことを書いていた(と思う)。けっこう面白い考え方だと思った。
保坂和志は、悟りはいったん開いたら終わりではなく、開いた状態を維持するために、開き続けなければならないと書いていた(と思う)。
確かに悟りを開くというのは、生き方とか考え方そのもののように思えるので、そんなに簡単に悟りが開けるようなものではないだろう、という予想は出来る。

 

しかし世の中の専門職はどうだろう。たとえば写真。
カメラの技術的進歩によって、きれいな写真を撮るだけなら、そんなに難しくなくなってきているように思う。さらに将来的に、構図のアシスト機能が付くようになれば、それなりの写真は誰でも撮れるようになる気もする。

 

自分の写真の肥やしになるように読んできた本には、質より量を撮れとか、とにかく作品を多く作ることを勧める人しかいなかった。それはどこか、最後は体力勝負というか、脳味噌が筋肉で出来ているような発想に見えてしまう。もう少し柔らかく頭も使って、効率的に写真を上達させる方法があるのではないか、と思ってしまう。
それは体系化できていないから、効率的に作ることが出来ていないのであって、体系化出来ていれば効率的に作るやり方もあっていいと思うのだ。

 

たとえばハリウッドでは、映画の脚本はシュミレーターがあって、どういう作り方、話の盛り込み方をすれば売れるかということが、ある程度事前に分かるらしい。映画の撮影でも、事前に3Dモデルで絵コンテを作って動かせるとか、とにかく事前にやり方を検討できる方法があると聞いたことがある。
日本ではどうなっているのか知らないが、たぶんそこまでシュミレーションはしていないのではないだろうか。ただ、日本映画は世界的娯楽超大作を作るような資金も企画もないだろうから、そこまでする必要がないのかもしれないが。

 

映画はチームで作るから、スタッフの知恵を借りて作れるけれど、写真はチームがあったとしても、映画よりは遙かに少人数で撮っていくと思うので、そうなると写真の効率的な上達方法や知恵は、映画よりも比較的個人に言語化されないまま留まっていて、一般に広く体系化されにくいのではないかと思うのだけれど、どうなんだろう。

 

私の思う体系化された写真知恵は、美術系の大学や専門学校に行けばいいのかもしれない。しかし大学や専門学校に行っても、写真教室に通った経験から、書籍でも同程度の知識や技術は身につくような気がするが、そういうものが欲しいわけではない気がする。
私が欲しいと思っている、体系化された写真の知恵というのはどういう物かというと、ケンカの売り方買い方、既存の写真からの逸脱の仕方とその回収の仕方、スクラップアンドビルドの方法などだ。たぶんそういう内容の教科書的な物は無いような気がする。

 

仮にお金があって、技術を結集してプロカメラマンの集合知を作り出せたら(それを個人的に売りたいと思うカメラマンはいないかもしれないけれど)、国としてちょっと良いカメラマンを量産できると思う。アメリカとかそういうことができそうだ。
一方で、日本はそんなことできっこないから、いつ登場するかわからない天才を待っているのだと思う。天才はちょっと良いなんてものでなく、破格に良いからそちらの方が優れているように思うかもしれないけれど、でも天才は1人だ。撮影できる時間も1人分。
ちょっと良いカメラマンは量産できるから、そのカメラマンが撮影できる時間は遙かに多くなる。

 

話がずれた。私が欲しい体系化された知識は、たぶん自分のお師匠を見つければ解消されるような気がしている。しかし自分が納得できる師匠を見つけるのは、なかなか難しいと思う。
そしてその体系化というのは、自分で見つけるものなんだよ、自分で研究して、という声も聞こえてきそうだ。でも師匠に期待しているのは、手とり足とり教えてくれる先生ではない。

 

先生には4年間教わったし、自分の撮った写真を見返して、自分で成長していく方法はこれまでも試してきた。その結果が今で、今の自分には満足してないし、今後目指すビジョンも希薄だ。
結局、その宙ぶらりんの状態に耐えて、前進なり足踏みなりしていくしかないのかなとも思う。でも天才でもない私は、師匠がいたらなと思う。