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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

1ヶ月

ブログの更新をしようと手を動かすことを、しなくなってしまった。前回の更新から、約1ヶ月経った。

 

理由は2つあると思っていて、ひとつは長文を書いていたことだ。
ブログは頑張っても1000字を超えたあたりで、力つきることが多く、それ以上書くのは無理だろうと思っていたのだけれど、今月頭で4、5、6月と書いてきた長いエッセイ的なものを書き終えた。16000字になった。
一日一日は1000字くらいを目安に書いていたのだけれど、全体としては長い文章も書けるものなのだ、ということが分かった。
そういう風にして、ぼちぼち書いていくというのを、週に3日くらいすると、ブログを書こうという気分も時間も少なくなってしまって、書けなかった。

 

もうひとつの理由はは、ねとらじ放送をまた始めたことだ。
個人でラジオを放送することが、パソコンをインターネット接続できれば、ネット上にリアルタイムで配信することが出来る。
数週間前から、週に1回くらい、雑談を30分放送している。話すことも素人なので、役に立つということを話すのではなく、無目的に時間とエネルギーを発散して、跡形無く消えればいいと思って放送しているので、誰彼と聞くのを勧める気はないし、聴いていて面白いのかも、自信はない。
しかし近況やら自分の創作活動について30分も話すと、一通り気分が落ち着くし、時折感想をいただけるので、それで自分は満足してしまう、というところは大きい。

 

長文にしても、ラジオにしても、手短に伝えるということから離れて、ただ時間がかかって、ネットでは検索できない無意味なことがしたい、という気持ちが強くなっている気がする。

 

ネットで何かを調べようとすると、wikiまとめサイトか、通販サイトに偏った検索結果が多くを占めていることに、嫌気がさしているのもひとつあると思う。

 

私が「いいな、このサイト」と思うのは、書き手が「これこそが世界でいちばん面白いもの(とか、美しいもの)だ!」という心持ちで作られたと感じるサイトだ。でも、こちらにはその価値観を押し掛けてこないことが大事だ。これを知らないなんて人生損していますよ、なんて説教はごめんだ。

 

広大なネット空間で、ただ同じキーワードに興味がある人が、訪れてくるのを待っている。いつ誰が来てもいいように、日々調度品をきれいに整え、心弾ませてキーワードを深く掘り下げたいと思いサイトを目指してきた人や、ひょんなキーワードからサイトにたどり着いて、とりあえず情報を見てみようという人に、いつも新鮮で、その管理人ならではのおいしい料理なり、1杯が用意されたサイト。ネットなら、そんなお店を構えることも不可能ではない気がする。

 

まとめサイトにも、そういうサイトはあるのかもしれない。しかし、まとめサイトを見て思うのは、引用コピペばかりということだ。まとめを作る人間のセンスは存在するとは思うし、百貨店的な便利さはあると思うから、効率的に情報を得たいときや、仕事で情報が欲しいときはいいかもしれない。

 

でも私の思う良いサイトは、簡単に引用することも出来ない場合が多い。ただ書かれている内容をそのまま読むことで、管理人の思いの強さが感じられるサイトがみつかった日は、やっぱり自分も得意なことをしていかないとな、と思う。

 

そういうサイトは半年に1つ見つかればいい方だ。そういうサイトは有り難いのか、検索し難いのか、よく分からない。
ネットには情報が溢れているという話はよく聞くし、ネットの情報量は対数的に上昇しているらしい。でもそれを見たことはない。地球を見たことがないように。
ネットに情報が溢れているから、自分で情報を取捨選択するのではなく、情報が自分に進入してくるのを防がないといけない時代になった、とも聞いた。
でも現状で感じているのは、ネットで検索してたどり着ける情報は、玉石混合の時代から、当たり外れのない時代になってきたのかもしれない。

 

作り手が「これこそが!」と思っている文章を読みたいと思ったら、同人誌になるのかな。
自分が思う、無意味さを発散させる場所も、ネットから切断されて検索できない、そういう世界なのかもしれないな、と思い始めている。