ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

人生がうまく回っているとき

毎朝洗面台の鏡にうつる自分に向かって、「このままでいいのかな?」と問いかけて、「今のままじゃだめだ」ということが1週間続くと、何かを変える時だ、というのはスティーブジョブズが書いていたことなのだけれど、人生がうまくいっているか、ということは直近の時間を振り返る時間が必要に思うかもしれないけれど、自分の直感を信じれば、あまり大きく人生の手触りを間違えることはないと思う。自分の経験した時間だから。

 

さて、今の僕は一般的価値観ではかると、1年半ニートで、今後の予定も見えない、お先真っ暗状態というところだろうか。
でも自分の主観では、「まあ、なんとかなるんじゃないの」という感じだったりする。それは待っていればなんとかなる、というものではなく、自分で何かに向かって歩き始めれば、どこかにはたどり着くという発想だ。登山やマラソンのように明らかなゴールがあるとは思っていないけれど。
そして、自分のこれまでの人生を振り返って気づいた、人生がうまく回っていた時間の要素が、なんとなく分かったからだと思う。

 

人生がうまく回っていた時間に自分の周囲にあったのは、小さな人の輪だった。それも同時に3つくらい。
僕自身は、おじさんな年齢になっても人見知りするし、動物占いをすればロンリーウルフと出るような、一人で時間を過ごした方が幸せというタイプの人間らしい。友人の日記と比較してみると、確かに一人で過ごしている時間は長いようだし、一人の時間を苦痛に思ったりはしない。でもヘンリー・ダーガーのようにはなれないとも思う。

 

人生がうまく回っていたと思う時間は、写真教室に通っていてグループ展を開催し、毎晩のように通っていたBarの飲み友達がいて、勤めている会社には公私混同できる友達がいた。
そこにいた友達は、顔見知りレベルの人たちがたくさんいる一方で、仲良くしている人は一握りしかいない分布だった。
嫌いな人と関係を持つ必要はないけれど、顔見知りレベルの人がたくさんいたから、親しい関係になりたいと思う人が少しだけいたのだと思う。親しい人だけで人間関係を作れるのは理想かもしれないけれど、実際には無理だと思う。

 

友達がたくさんいただけで、人生がうまく回っていたというわけでもない。小さな人間の輪の中で、小さな役割を果たしていたから、自己効力感があったのだと思う。
写真教室のグループ展ではリーダーをしたり、飲み友達にはおいしい日本酒が見つけてBarに持ち込みをしたり、勤めている社内でサークルを立ち上げたり。人の輪なりに大きな役割もあったし、お酒を持ち込むだけの役割といえるのか分からないものも含めて、自分が人の輪に何か働きかけて、フィードバックを得ているという状況が、よかったのだと思う。と書くといつも自分が先頭に立っていたような感じだけれど、持ちつ持たれつという状況だった。自分から先頭に立つこともあったし、周りから持ち上げられたことも多かった。

 

参加していた人の輪がいずれも心地よかったのは、メンバーで新しいことをやってみることに、メンバーが乗り気だったことだともある思う。「ちょっと気になるんだけど」と思うことも、「これをみんなでやったら楽しいと思う」ということも、特別なイベントだけでなく、ありきたりなことも気軽に話せて、失敗するとか成功するとかよりも、とにかくやってみようということが、うまく回っていったのだと思う。
そういう雰囲気は、たとえば写真教室なら、みんなが写真初心者という理想的なサークルの状態から始まって、1ヶ月に1回顔を合わせることを、最低でも半年は続けないと、人見知りの自分にはできなかったし、自分の言ったことや行動を拾ってくれる、心の広い人たちがいたからだ。

 

新しいことをしない人の輪は、想像だけれど、昔話で満足してしまうのかもしれない。それも楽しいとは思うけれど、お互いに共有できた時間や経験が遠のいてしまえば、やはり楽しさは色褪せてしまう気がする。先細りするような。

 

たまに増田に、40~50歳になって何もすることがないと書き込む人がいるけれど、学生の頃にお金がなくてあきらめた何かを始めてみるとか、1時間5千円くらいの授業料を払って何かを習ってみるとか、地域のボランティア活動に参加してみるとか、自分で何かを始めてみては?と思う。何かを変えたいなら。
そして可能なら20代とか30代で、ひとつに絞りきれなくても、将来花開くかもしれないことを始めておくと、自分の(仕事以外で)やりたいことに、ちょっとずつ近づいていけるのだと思う。