ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

何を見たいのか

前から思っていたけれど、やっぱり自分はカメラマンとして進むよりも、写真作家の方向を向いていたいのだなと思う。なんちゃってカメラマンのようなことは出来るけれど、技術の写真をめざしている訳ではないというのは、言い訳かな。
 
言い訳ついでに書くと、カメラの性能を100%使いこなす事も目指してはない。レンズの収差も、カメラの解像度も、その他ガジェットとしてのカメラの技術的な事は、その筋の人はおろか価格コムの常連さんからすれば酷いレベルの知識だと思う。でもそういう全方位的なことに興味が無い。カメラの新製品で気になるのは、ISOの常用感度が高くなっているなら欲しいというくらいだ。
 
要するに写真初心者よりは、一点突端な技術や知識があるという程度でしかない。だから写真について何か自分が誰かに教えられる事も無いと思う。調べない人や、調べる言葉を知らない人からしたら、詳しく見えるかもしれないけれど、自分の今の知識や技術は、誰かがどこかに残した記録の範囲にあるものだと思う。
 
2008年から写真を撮るようになって、今年で7年目。7年も写真を撮り続けていると、自分の得意な撮り方であれば、それなりの練習時間をかけたし、それなりに自分なりの知識も得たし、それなりの写真が撮れるようになっただけだと思う。
頼まれればライブ撮影、観戦にいった野球、散歩で出かけた先の風景など、<それなりに>撮れるようになったけれど、それはそれらの撮影場面を<自分の得意な撮り方>という土俵に上げて撮っているだけだ。
 
正直、それらのジャンルのプロの写真と、自分の写真を見比べて差異を感じない事もあるけれど、それは差異を知覚できていないだけだと思う。その差異は、人間の目が光の三原色で世界を見ているのに対して、鳥の目が紫外線を含めた四原色で世界を見ているくらい違っていて欲しいけれど、多分プロと自分の写真の差異は、言葉以前の所に宿っているのではないか。だから言葉になっている事柄だけ見ていても、自分の観測範囲は広がっていかないと思う。
その差異を埋めていくこと、誰かが記録したことを追従して観測範囲を広げる行為を、完全に無くすことは出来ないけれど、その差異を埋めることだけに自分の人生を使いたくない。
 
最近、撮った写真をこれまでと違う明るさで仕上げるようになって来ている。自分の中で新しい差異が出て来たのかもしれないし、ただ世の中の平均的な所に流れていきつつあるのかもしれない。
これまでの写真を取り戻したいとは思うのは多分間違っていて、表面的に見える変化と内層で変わらない部分を良く見て、自分の写真で見たいと思っている世界はどんな世界なのか、ということを知ろうとすることを始める必要があるのではないかと思っている。