ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

どうして続けるのでしょう?

先日、写真教室で知り合った仲間が結婚式を挙げた。呼ばれた2次会を終えてから、お店を変えてクラスの仲間と飲んだ。最後に会った2年前とは、大きくは変わっていないようだった。写真を頻繁に撮らなくなっている以外は。
 
写真教室を卒業して3、4年経つ。仲間の生活環境も家庭ができたり、仕事が忙しかったりで、教室に通っていた頃のように、写真を撮ることに時間を使えないのだと思う。
経験したことも各人の方向で進んでいる。いつまでも、あの場所にいるままじゃない。
そう考えると、写真教室を卒業してしまえば、写真への気持ちが冷めるのは、自然な流れに思える。代わりに新しくやりたいことを見つけられていれば、それで良いのだと思う。
 
写真を続けられる人は、何を元手に気持ちのサイクルを回し続けられるのだろう。そういう話を聞いてみたかった。
単一の要素で続ける訳ではないだろうけれど、同じ趣味の仲間が入ることは心強く、大きく助けてくれるとは思う。
 
自分の場合、はっきりと写真作品というものを認識した、東松照明の写真作品を見た記憶も影響しているように思う。
東松照明の作品を見て「写真はこんなこともしていいのか」と思った記憶というのは、何気ない瞬間だったけれど、閃光のように何か違和感のようなものを照らして、その違和感はなかなか消えない。
  
4年写真教室に通い、仲間と遊び、毎年のように写真展に出展したり、定期的に型から入るような写真との関わりがあった。その型を通じて、仲間のつながりが生まれ、自分に写真を撮る基礎ができて、結果的に手探りで撮るようになった。
誰かと比較した出来の善し悪しでなく、新しいことを試して遊ぶという判断が続けられないと、趣味が続かないのかもしれない。
 
ただし出来るようになったことが、出来なくなるのは、意外と簡単に起こることだ。
 
進みたい方向に進めれば良いけれど、大きな流れは確かに存在して、流れに逆らうことは難しい。流れにのりつつ、判断を繰り返し続ける。止めても良いし、続けても良い。多分、そういう簡単なことから始まる判断を、続けていけるかどうかなのではないか。