ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

文章の年齢

このごろはお金もなくて、新しい本も気軽に買えないので、自分の蔵書から読み返していることが多い。
時代に即して買かれた本は、懐かしい感じがするし、本質を追求した本は、まだ新しい発見がある。
 
そんな中で、気に入っていた本を読み返したら、ものすごく読みづらいと感じた。去年も読み返した時は、そんなことを感じなかったのだけれど。
 
それは書かれた文章が若いからかもしれない。その著者は、楽しいことも書くけれど、嫉妬や焦りも、実直に書く。
最近読んでいる森博嗣保坂和志のエッセイには、感情を描写する部分が多分ない。感情を排した文章に、慣れ過ぎてきたのかもしれない。
 
読みにくく感じさせるのは、一般的に恥ずかしいとされる感情を読んで、自分に共振する恥ずかしい感覚を否定したいからかもしれない。それは読む人に訴えるのが、上手い文章なのかもしれない。
そこから感じたのは、恥ずかしいということを極端に忌避して、細部にこだわる完璧主義に落ち入ること止めよう。本質を求めること、そして伝えたいことがもっと伝わるように書こう、ということだった。
 
一方で、自分の書いた古い文章を読み返してみると、書き方が下手と言うより、なぜこんな雰囲気で書いたのだろう、と戸惑うことも多い。ネット上の人格と自分で実感する人格が、乖離している文章に思えるので、「あまり感心しないな」という感想だ。
 
今の自分は、できるだけ自分と乖離していない文章で、あまり熱くなりすぎずに文章を書けるようになりたいと思っている。
でも、文章を熱く書くという若さから離れていくことで、伝えたいという気持ちからも離れてしまうなら、考え直した方が良いかもしれないと思った。