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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

楽しい時間を過ごせていますか?

私は趣味はもちろん、仕事にも楽しい時があると思っている。
楽しいと思う趣味も、楽しい時ばかりではないし、爆笑するような楽しさはない。でも趣味は仕事よりも楽しめていると思う。
 
今の自分のいる位置に訪れるものは楽しくないが、自分から接近するものは楽しい。p56
「自分探しと楽しさについて」

 

と書いている。上司に振られる仕事は楽しくないが、自律的にやる仕事は楽しく感じられたりしないだろうか?
 
この先は、自分でやりたいことをしやすい、趣味について書いてみたいと思う。
 
趣味や仕事を私が楽しい(瞬間がある)と思う根拠は、M・チクセントミハイの「フロー体験入門」に示されている内容だ。
 
フロー体験とは
1)ゲームやスポーツ、音楽演奏など、適切な対応が必要な目標が明確で
2)自分の立場が良くなったか、悪くなったかわかる、迅速なフィードバックがある。
3)自分の「技能」でちょうど処理できる程度の、高い「挑戦」とのバランスがとれたギリギリのところで活動しているとき
4)集中が高まり、散漫さは無くなって、時の経過と自我の感覚を失う。
 
そこでは、行動をコントロールできているという感覚を得て、全面的に世界と一体化していると感じる。この状態を「フロー」と呼ぶ。

 

私が、仕事や趣味を「楽しい」と書きたくなるのは、このフローを体験しているときである。簡単に言うなら、事象に深く没頭している状態だ。
 
そして、フロー体験を楽しいと感じるのは、体験後の感想である。
 
フローを体験している間、幸福を感じる余裕はない。ただ仕事をやり遂げた後にだけ、何が起きたのか振り返る余裕があり、その体験のすばらしさへの感謝でいっぱいになるのである。
p43
「フロー体験入門」
 
 
仕事が必要悪と見なされる一方で、リラックスできること、何もすることがないことは、ほとんどの人にとって幸福へいたる王道のように思われがちだ。趣味などをする自由時間を楽しむ、というのは誰でも出来る、という前提で話されることが多いことにあらわれていると思う。
しかし、好きなようにすごせる時間があっても、それを効果的に使う方法を知らない限り、自由時間の質を改善することは出来ない。そして、それは決して自然に身につくものでもない。集中のない受動的な自由時間は、無気力になりがちだ。
 
フローを生み出す複雑な体験を楽しむためには、楽しめる時間の前に、最初に集中力を投入する必要がある。
そこで疲れ切っていたり、不安だったり、集中できない障害を克服する訓練が足りていなければ、テレビを見たり、受け身でお手軽に楽しめるもので妥協せざるを得なくなる。
 
自由時間でフロー体験を得るには、仕事に対するのと同じくらい、工夫と集中力を要する。「何をするのか」よりも「どのようにするのか」ということにかかっている。
そして、誰もが同じことをすれば、フロー体験を得られるわけでなく、どうすれば上手くいくか、あなた自身が発見する必要がある。
 
再び森博嗣を引用する。
 
時間をかけることでしか、本当の楽しみは味わえないのだ。p61
 
今が楽しくないのは、ずっと以前に、楽しさの種を蒔かなかったせいだ。だから、今なにをどうこうしても、すぐに楽しくはならない。今から努力すれば、ずいぶん先に、楽しさを味わうことが出来るだろう。p141
 
本当の「楽しさ」は他者から与えられるものではない、「自分」の中から創り出されるものである。p64
「自分探しと楽しさについて」
 
 
もし自由時間の楽しみが誰にでも体験できるものなら、地球上の誰もが詩人や音楽家、アマチュア学者や芸術家になれているはずである。でもそうなっていないことは、誰の目にも明らかだろう。
しかし私たちの祖先が、自由時間の中に美と知識を探る機会を見いだしたから、民俗芸術は生き残ってきた。
誰でも自由時間を積極的に過ごせる訳ではないが、あなたに出来ないとは言えない。
あなたは楽しい時間、過ごせていますか?
 

 

フロー体験入門―楽しみと創造の心理学

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自分探しと楽しさについて (集英社新書)
 

 

 

 

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