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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

ネガティブとの距離

TwitterではFacebookよりネガティブなつぶやきが多いとか、Web全体で見ても個人的なネガティブが、人の目に触れやすい世の中になったと思う。昔は純文学を書き残すくらいの気概がないと、出来なかった事なのではないか。
世間が悲観的な方向に向かっているから悲観的なことを書く人が増えるのか、悲観的なことを書く人が増えたから世間が悲観的な方向に向かっているのかは、よくわからない。
ネガティブな気持ちである、ということを表明することの、敷居が低くなっているのは、悪いことばかりではないように思う。明るく元気に生きなければならないという、仮面生活を送る人の毒抜きになっているのなら。

 

自分もネガティブに捕らわれて、後ろ向きに書いてしまうことがある。
SNSのネガティブ発言で気にかかってしまうのは、延々とネガ書き込みが続く人だ。
なんとか良い方向が見えるように、手を差し出せないかと思うが、ネット経由の文字だけで助けを出すのは無理だ、ということをここ最近学んでいる。
SNSで見かけるようなネガは、「いずれ状況が良くなるといいですね」という気持ちで見守るしかない、ということなのかもしれない。でも本人の気付きという変化がないと、抜け出せないと思う。
 
困ってしまうのは、ネガに対してカウンターを出す人である。ネガに対して怒っているのかもしれないが、見たくないからといって攻撃して良いとは思わない。SNSだったりWebなのだから、ネガを見たくなければフォローを止めるか、見に行かないようにすれば良いだけの話だと思う。
アイスを食べ過ぎてお腹を壊して苦しんでいる人に、「アイスを食べ過ぎたのが悪いんだ」と言っても、お腹が痛いのは治らないように、ネガ書き込みをしてしまうことを攻撃しても、抑圧されてネガを出せなくなってしまうのは良くない状況だし、当人がネガから抜け出せる力なり、視点を持ってもらわないと、当人は生き難くなるだけなのではないかと思う。
 
こうして、当人の為になればと思って書くこと自体が、当人の為というより、ネガの受け手になる自分が、理想とする人間像を当人に投影して、矯正しようとしているだけ、とも思うので、そこから出てくるのは、医者でも心理カウンセラーでもない自分に出来ることとは、やはり医者に行けと伝えるか、見守るだけなのかなという話になってしまうのだけれど。
 
SNSも含めて人間関係で、好意的に受け取れる部分だけ抜き出して、これが人付き合いだなんて思いたくない自戒も込めて、平野啓一郎さんのいう分人化が、悪い方向に向かないと良いな、と思う。