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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

最近の書いてみたことについて

ここ2つくらいのブログポストは、L!feのノートにアクロボールのボールペンで、テーマというか書きたいと思っていることを、これ以上書けないと思うまで書き出すようにしてみた。
その後でEvernoteに書き出して、削ったり足したりして、ブログに公開してみた。
 
そのやり方自体は、書きたい気持ちに正直に、誰にも見せないノートに書き出してすっきり出来るし、ノート→Evernote→ブログと、書き写す段階を経て、自分の気持ちがより冷静になって、公開したときの自分の不備が少なくなると思えるし、読みやすくなっていれば幸いだと思っている。
 
しかし、このやり方になって、足りなくなったと思う部分もある。それは、ブログを公開して、後悔する気持ちが減ったことだ。
ウサギノオトを始めたきっかけは、Ask.fmで誰かがブログを書くことを勧めてくれたので始めたのだけれど、始めた頃は公開すると「これで良かったのだろうか」と後悔したり、自分の文章を気恥ずかしく思ったりしていた。

後悔はしない方が、良いと思われるかもしれない。完璧に仕上げたと思える方が、良いと思われるかもしれない。
 
しかし、写真を撮っている経験上、被写体を完璧に撮り終えることは無くて、せいぜいモアベターな写真が撮れるくらいだと思っている。
これは悲観的な書き方かもしれない。でも、その時のベストは尽くしているのだけれど、あくまでも「その時点でのベスト」であって、知識や経験が積み重ねられた後では、撮れるものも違ってくると、経験的に思っているということ。つまり写真を撮り続ける限り、自分の写真は完成しないと思っている。
仮に完璧だと思える写真を撮り終えたら、写真を辞める時が来たと思ってしまうかもしれない。まあそれでも、新しい被写体を探してしまうと思うけれど。
話がそれたけれど、書くことや考えることも、完成することなく延々と続いていくのではないか、と今のところ思っている。これは、自分の書くことの軸のなさというか、書きたいと思うテーマの完成図が見えていない、とも言えると思う。
 
山田ズーニーさんが先日書かれていたことが、ふと頭をよぎる。

もし、それがだめだったときに、いちばん恥ずかしい、いちばんかっこわるい書き方で。ひっくり返せば、書くときにいちばん勇気がいるやり方で、いっさいの予防線とか、言い訳とか、だめだったときの保険とか、書かないで、まっすぐストレートに伝える、ということをやってみる。

 


文章でも写真でも、完璧に仕上げるというよりも、気恥ずかしくても、公開して後悔しても、そのとき思ったり考えたりしたことを、よりストレートにするようにするべきなのではないか。
文章をノートから書き始めるのも、後悔しない方法を探すのではなく、少しでも伝わるようにするには、どうしたらいいのかを考えた方がよさそうだ。
 
その上で出てくるのは、このブログの軸も完成図も見えてみない自分は、似たようなことを何度も書くだろうということだ。
 
森博嗣は同じことを書かないと明言しているが、自分には記憶力がないので無理だと思う。まだ始まったばかりのこのブログでさえ、読み返さないと何を書いたのか覚えていない。
それよりも保坂和志の言う、すぐに答えをださずに、同じことを考え続けるということの方が、納得できる気がする。ブログでは毎回自分なりに答えを出すようにしているけれど、新しい疑問を毎回簡単には生み出せそうにもない。結局同じことを考え続けてしまう気がしている。
 
でも自分は有名人でもないし、注目もされていない。書いたことを読まれたとしても、余程の内容でない限り、覚えている人も少ないだろう。
だから似たような内容を、よりストレートにするために、何度も書いてしまうと思う。自分で自分の思っていることを読み当てるために。
 
そんなことにお付き合いいただける方には「申し訳ないな」と思っているのだけれど、これはブログだし、読みたくなくなってしまえば、それまでのことだと思う。一生の付き合いのような強いつながりになる必要はないし、パッと読まれて消費されてそこまでよ、というのが個人ブログの宿命だと思う。それよりも無名であるがゆえに、自由に振舞えることを楽しんだほうがいいかもしれない。