ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

撮ること

 目の前の光景を切り取りたいという衝動。それは記録としての写真でも、作品としての写真でも同じだと思う。シャッターを切りたいという気持ちがなければ、シャッターは普通自動で切れない。その気持ちや、直感的に感じたことを切り取ると決めること。それが写真を撮ることだと思う。

 

  • 撮ることは意識すること

 感じたことを残す、それは楽しいとか、明るく元気な気持ちだけでなく、苛立ちだったり、暗い気持ちもあると思う。いろいろ感じる要素に反応して、シャッターを切るという行為に意識的になった方が、撮ることを上達させやすいと思う。ただ漫然と有名だからなどという理由で光景を撮るのは、写真を見返すのが楽しくなくなってしまう気がする。
 

  • 何かを感じる場所はどこだっていい

 風光明媚な観光地に行くことだけが、何かを感じることができる訳じゃない。身の回りにある光景だって、何気ないものにも新しい発見はあると思うし、何かを感じ取って写真を撮ることは出来る。
被写体に写真を撮らされてしまうことには、注意しないといけないけれど、目の前にした被写体に呼びかけられるようにして撮ってしまうこと。
そういう被写体に対するアンテナの感度を上げていけるような、撮る練習をコンスタントにしていけば、身近な場所でカメラを持って歩くことが楽しくなると思う。
あるいは撮ることや場所を、完全にルーティーン化してしまって、ひたすら枚数を重ねてみると、ひとまとまりになった写真から、面白いことが見えてくる場合もある。同じ場所であっても、同じ光景になる瞬間はない。
 

  • 写真をネットに持ち込むとき

 写真を撮るときに、ブログやSNSにアップして、誰かにいいね!してもらうイメージを膨らませるのではなく、自分の撮りたい気持ち、感じたことに向き合っていることが前提だと思う。
そうは言っても、撮って誰かを楽しませたり、ハッとさせるような写真が撮れるようになれば、それは一段と撮ることが面白くなるのだけれど、順番を考えましょうということ。
 

  • 撮ることが上手くなりたいなら

 撮ることが上手くなりたいと思うなら、たくさん撮り続けること。そして、撮った写真を見返すことが大切だと思う。
見返すことは、自分の内面に向かって、この写真ってどう思う?と問いかけることの連続だと思う。
写真を見返して、面白いとか、撮ったときのことが思い返せないなら、気持ちや感じていたことが足りていなかったのかもしれない。まあ技術という不足もあるかもしれないけれど、見返して面白いと思える写真、面白いと思えない写真、その違いはどこにあるのか。もう一度同じ場面に遭遇したら、どう撮るか。そういうことを考えておくのは、いい練習の1つだと思う。

 

  • あえて撮らないこと 

 たまに「目の前のことを楽しむために、敢えて写真を撮らない」という選択をする人がいるようだけれど、自分でその光景を楽しんで完結するならそれで十分と思う。自分の目と光景の間に、カメラを挟むことが適していないこともあると思う。
でも私の場合は、記憶力がひどくあやふやで、写真という媒体がないと思い返せない。言葉を使いこなすことも苦手な私は、言葉を使わずとも写真一枚で誰かに語れてしまう面がある、ということが好きだ。だから撮ってしまうのだろう。