ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

書くこと

今週のお題「書くこと」

 

自分の中で書く場所は、もっぱら日記かブログになる。
 
日記は忘れっぽい自分の忘備録として書いていることにしているけれど、読まれることを前提にしている時点で、ある程度は書いている時から見返すし、文体も読みやすいようにしているつもりだ。それでは、もう日記ではなく、読み物として書いている気もする。その差を自分では、十分認識できていないけれど。
 
webに書き残すことで、自分の過去の経験が、ひょんなところで誰かの役に立てばいいな、と虫の良いことを思っていたりするが、多分誰かの役に立っても、自分がそれを知ることは無いのだろうなと思う。
結局、不特定の誰かのためにブログを書くことは、虚空に向かって徒手空拳を繰り出しているような感覚で、滅多に反応も帰ってこなくて、虚しくなったりして続けることは難しいだろうなと思う。
 
と書いていて、ほぼ日の奈良さんのインタビューを思い出した。

夜、窓を閉めて、絵を描いていると、
なんか、自分が宇宙船の中にいて、
そこでひとり絵を描いてるような気分になる。
外から見ると窓から光が漏れていて、
ほかに町もないようなところに
自分の宇宙船だけが浮いてる。
その中で自分が絵を描いてるんだ、
みたいな妄想に入っていくことがよくある。
「NOWHERE MAN IN THE SPACESHIP ひとりぼっちの絵描き」

 

 
これを孤独と読み解いてしまうと、身もフタもないのだけれど、自分の宇宙船が書くという信号を発しながら、宇宙を漂っていくことに、耐えられる人だけが書き続けられるのではないだろうか。時々他の誰かとコミュニケーションという、小さな信号を受け取れるとは思うのだけれど。
  
書き続けることを、自分の善として位置づけていく自己承認をせず、他者承認で続けようとすると、自分を苦しくしてしまう気がする。PV数が上がることやコメントが帰って来ること、はてブがつくことは嬉しいことだけれど、それらを期待して書くことは、順番が違う気がする。書くことは、自分自身か自分の内面に向かうことではないだろうか。
 
日本のネットで、そういう個人ブログは著名人でもない限り、無名のままだと思う。自分の日記やブログを検索してきたキーワードを見てわかる範囲だけれど、検索されるキーワードは、商品名か、観光スポットか、イベントであることが多い。まあ自分の書いた物が、自分の検索されたい言葉を使って、書いていないだけなのかもしれないけれど。
だからといって受けがいいキーワードで、読み手におもねって、検索されやすいことを書き続けるのは、読み手の先回りをしているだけだと思う。自分が書きたいことは何なのか、ということが抜けていては、書く力も入らないのではないだろうか。
 
今の自分が書けるものが、どの程度のものなのかは分からないけれど、自分が書いた内容で、読んだ人の世界に何か持ち帰ってもらうとか、読んだ人の世界がほんの少しでも広がることが、最終的な理想だと思っているし、そういう風に書かれたものに、いつも出会いたいと思っている。
それはその人が生きている感覚を感じられるもの、個人の経験や考え、悩みを追体験できるような、思考のうねりを感じられるもの。他の人をイキイキさせることが出来るものだと思う。そういうものは、読んだ人を書いた個人の考え方に当てはめるのではなく、読んでスグではなくても、自分なりの型を創り出せるようなものだと思う。
 
そういうものを、いつか書きたいな。