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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

ブライダル写真を撮りたいですか?

私自身が得意にしているのは、動物園で撮る動物写真なので、人物を撮ったり、風景を撮ったりするのは、得意ではない。
しかし、カメラで写真を撮るというプラットフォームの上に、各ジャンルがある以上、個々のジャンルに共通するエッセンスのようなものはあると思うのだ。
人によっては、自分の得意分野以外は撮りたくない人もいるだろう。まあそれは意欲が無ければ、しょうがないことだと思う。
でも私の場合、写真を撮ることの根底にあるのは、自分の楽しかったと感じたこと、美しいと思った瞬間などを写真で積み重ねて、残してゆくことであったりする。

全てのジャンルが得意とは言えないけれど、でも自分の感じた光景を残しておきたい、という気持ちは貪欲であったりする。だからコツの分かっていないジャンルの写真であっても、一度は撮って何か感じるものがあるか、自分で探ってみたいと思っている。

そして自分の動物写真に、何かフィードバックできないかと思ってしまう。
 
そんな中で、自分がブライダル写真を撮りたいと思う理由は以下だ。

 

  • プロからこぼれ落ちる光景

ブライダル写真の撮り方セミナーを受けたことがあるが、見たことのあるようなブライダル写真を撮るのは、やはりプロの仕事だ。アレだけのお金をもらい、撮って残すものを残しているだけのことはある。そして、いい写真を撮れる場所は式場のプロカメラマンしか立ち入れなかったりするので、結婚式の参加者が撮れる写真は限定的な写真であったりする。
でも一方で、プロは定型的に新郎新婦を撮影することを仕事にしているのであって、そこからこぼれ落ちる場面もあったりすると、個人的には思っている。
披露宴で撮りやすい、ケーキ入刀やファーストバイトは、参加者が撮りやすい写真だ。しかしカメラを持っている人が入り乱れて、同じように撮るので、仕上がる写真の差は大きくないだろう。結果、似たような写真になってしまう。
しかし、例えば新郎新婦と友人で歓談する時間等は、高砂のそばで写真を撮れるので、リラックスした表情の新郎新婦を撮れるチャンスもあるだろう。
つまり数は多くないけれど、プロに並ぶような写真を撮るチャンスが無い訳ではない。そこを狙おうと思うか、思わないかの差だと思う。
 

  • シェアできる写真

写真の出来の善し悪しを置いておくと、プロが撮った写真は基本、新郎新婦しか見られない。
しかし、参加者として撮ること写真は、自分の過ごした時間の記録をすることでもある。私だったら、友人が結婚して嬉しかった気持ちで撮った写真は、手元に置いておきたい。
そして、参加者で撮った写真は、参加者間でシェアできる。参加者同士で、良かったね、楽しかったね、といえる断片を共有できるのは、悪いことじゃないと思う。写真ならそれが出来ると思う。

 

  • コミュニケーションが発生する

私が、なのだけれど、言葉を使ってコミュニケーションするのが苦手だ。でもカメラがあれば、こちらから「撮ろうか?」「撮って良い?」と言えるし、撮った写真を後で渡すことも、コミュニケーションにできる。まあ、新郎新婦がその写真を欲しいと言ってくれれば、の話だけれど。
 

  • 練習

最初の話に戻るが、どんなジャンルの写真であっても、共通するエッセンスはあると思っている。なので、ブライダルであっても、何らかの写真撮影の練習にはなると思っている。そこを自分で探せるかどうか。
また、妙齢になって、友人の結婚ラッシュが始まると、撮れるチャンスも多くなるし、どのタイミングでどんな雰囲気のイベントが進行するかも予測しやすくなるだろう。結果、友人としてのブライダル撮影は、少なからず腕が良くなるのではないだろうか。
 
でも一方で、披露宴に呼ばれても、撮らない時もある。

  • 他にも友人カメラマンが沢山いるとき

私が写真教室に通っていたこともあって、写真教室仲間が沢山呼ばれる結婚式では、カメラを持って来る人も多くなる。
写真教室とはいえ、皆それなりの教育を受けているので、レベルもそれなりにあり、その中で自分の写真を差別化するのは結構難しい。そういうときは、撮りたいと思っている人に任せてしまっている。
 

  • 気持ちが乗らないとき

他に友人カメラマンがいない時は、難しい話になるかもしれない。
しかし基本的に気持ちが乗っていないとき、場面場面を抑えるように写真撮影するのは、相当気持ちに無理をさせることになる。体力的にもシンドイ。
結果、場面場面での判断が上手く行かず、結婚式も楽しめず、いい写真が残せないなんていうのは、簡単に予想できそうな結果だ。
披露宴でプロ無しで、参加者が撮影を頼まれることはそうないだろうから、やんわり断ってしまえば良いと思う。