ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

エクスペンタブルズ

 時間を持て余したので、なんとなく見始めた映画だったが、娯楽映画として面白かった。

 昔の偉大なアクション俳優が、エクスペンタブルズ(消耗品部隊)という自虐的なネーミングのチームで、昔見たことがありそうなアクション映画を作り上げている。

 有名な俳優さんたちが沢山出ているので、それだけで面白い。しかし彼らも歳を取ったのだ、という映画ではあった。ほどほどの満足感。

 

エクスペンダブルズ (吹替版)

エクスペンダブルズ (字幕版)

エクスペンダブルズ [Blu-ray]

「読んでいない本について堂々と語る方法」ピエール・バイヤール

 本を通読・精読しないことは、自分を守るために必要であるということが書かれている本。

 確かに本を読むと少なからず本からの影響を受けてしまい、自分の思考と本による他者の思考がごちゃまぜになってしまう。

 読み專の人はそれでも構わないかもしれないが、アウトプットしようとして読書をする人は、読書することで自分の純粋さが減ることを考えると、読書に慎重になっていいのかもしれない。

 でもそれって、相当レベルの高い思考ができる人に限られる話ではないか?自分に適用して良いモノかどうか...。

 

 本を読まない主人公を題材にした小説などの引用が、たくさん出てくる。他人がどんな風に本を読んでいるか知らないだけで(そもそもそんなことを話す相手もいないし)、本を精読していない人は結構いるのかも。

 自分が読んだ本についてはSNSで披露したりするが、本を読まない人や読むのが遅い人にとっては、読書自慢に見えていたりするのかな?

 それは「読書が良いこと」という範疇で考えることが社会に浸透しているから、読んだ本や読書量を見せびらかしたいという気持ちが全くないとは言えない気もしてきた。

 しかし「こんな面白い本があってね」という話はして行きたい気もする。

 ブログにはこれまで通りな感じで読書メモを書いていくと思うが、SNSは読んだ本のタイトルだけをアップするくらいにしようかな。

 本を読まないことを論理的に勧めているので、内容には「なるほどな」と思ったが、本を読まずにその本の内容を語ったりするには、世の中にどのような本があるかや、本の本質や体系を知るためには、最低限の読書は必要ではなかろうか?

 この本の要は、「読むのが時間の無駄になるような、くだらない本を読むな」ということなのかもしれない。そこには、楽しむための読書という印象はない。勉強のための読書なのかな。

 この本では、読んだことが無い本、流し読みした本、人から内容を聞いた本、読んだが忘れた本とジャンル分けして、それぞれの場合でどうするかが書かれている。

 自分も最近精読する本は減ってきた。この本も飛ばし読み。「でもそれでいいんだよ」という、心理的な罪悪感は軽減してくれる本だった。そもそも本を精読しても、記憶は消えていくし、時間は有限だから再読ばかりしていられない。大事なのは全体の中で、読みたい本がどこに位置付けられているかなのだそう。

 でもの視点って、そういう視点を鍛えないと持てないだろうな。でもやり始めないとできないことだし、自分もそういうことを意識していこうかなと思う本だった。

 

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

幼女戦記を見終えて

 神を信じられる人間をつくるための試練を乗り越えていくターニャのお話だったはずだ。

 しかしそれはサブテーマだったのかもしれないと思えるくらい、後半はそれが薄くなった。

 部下ができ、戦局を見通せるようになっていくターニャの願いは、個人的に安全な後方勤務から、部下を思うことも含まれていそうな戦争の早期終結に変わっていく。

 ターニャが部下への愛を持っているなら、前世より十分人間的になったなように思う。

 一旦安心して見られる終局がくると思えたが、最終話でむしろ以前より酷い状況へと、少なくともターニャの率いる203大隊は向かっていく。

 終盤になって存在Xが完全に出てこなくなり、次回作でどういう展開が起こるのか、怖いような楽しみのような気分だ。

 

 ターニャを見ていると、神を信じることから遠ざかりつつあると思える現在の世界情勢、彼女の心境が理解できないわけではない。

 神を信じることがもたらすものは、何なのか。見ているこちらは、むしろターニャの無神論への共感が深まってきた。

 幼女戦記著者が見せたい世界とはどんな世界なのか、そういう世界が次作で見られるといいな。

アニメ『幼女戦記』完全設定資料集