ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

私の思うイカちゃんのプラベマナー

たかがゲーム、されどスプラトゥーン

 オンラインゲームや、特にFPSゲームのマナーについて書かれているウェブページは見つかったのですが、スプラトゥーンの特にプライベートマッチのマナーについて書かれているウェブページが見つかりませんでした。

 たぶん今どきの人たちは、ゲームのライブ配信を見て、ゲームのマナーを身につけていたりするのかな?と思います。

 今回は、私がロビーを立ててホストをするとき、また自分以外の人が立てたロビーに呼ばれたときに、こういうことが大事だなと思うことを書いてみます。

 

プラベに入るなら、一言伝えてから

 個人的にはレギュラーマッチは、何も言わずに合流しても良いかな、と思える最低ラインです。

 なぜならロビーを立てている訳ではないからです。でも一言あった方が、よりよいとも思います。

 ロビーを立てることは、ホストが何らかの事前調整をして、フレンドさんに集まってもらうことが必要になります。

 プライベートマッチやサーモンランでロビーを立てているところに、何も言わず合流するのは、ロビーのホストにとって、予定しない参加者が入ってくることになります。

 人数調整が出来ていなくて、結果的に助かったということもあるかもしれませんが、ホストと参加者が何らかの事前準備をした結果できたロビーに入るなら、せめて一言なんらかの連絡をし、いろいろな労力を使ったことに対しては、ありがとうの気持ちを忘れない方が、お互い気分よく遊べると思います。

 パスワードをかけていない、Switch Onineを使っていないロビーには、勝手に合流することもできますが、そこは最低限の連絡でいいですので、ロビーに合流したいことを伝えましょう。

 後で書きますが、無言というのは、コミュニケーション方法として最悪の結果を招くことがあります。

 

あくまでもチームプレイのゲーム

 いくら自分のランクやウデマエが上であっても、スプラトゥーンはチームプレイが大事だと、私は思っています。

 レギュラーマッチやガチマッチだけでなく、サーモンランだって、私の嫌いな言葉「戦犯」という言葉が出てくると、途端にチームワークはガタツク可能性があります。

 自虐的に、また冗談のつもりでも、「戦犯」のような、ゲームの勝敗を個人の責任するような言い方をしないことが、楽しくチームプレイで遊ぶ秘訣だと思います。

 

ギスギスしやすいからこその、挨拶

 スプラトゥーンは、インクバトルというオブラートに包んだ言い方をしていますが、根っこには、キルを取ること/取られることを含んでいます。

 プライベートマッチでコミュニケーションが取れないまま、同じ相手と戦い続けると、相当ストレスが溜まります。

 最初と最後のあいさつ、「よろしくお願いします」、「ありがとうございました」、「楽しかったです」などの一言で、少しはストレスが軽くなります。

 しかし挨拶をしても、同じ人に連続でキルを取られたりすると、ストレスが溜まるのは避けらません。

 でも、連続キルは止めて欲しいなど、ちょっとしたトラブル・ストレスを言いやすい関係をつくるきっかけにできるのは、挨拶かなと思います。

 だから挨拶が基本にあって、もっとできる人はゲーム中の声かけをすると、さらに良いと考えています。

 そのために、ボイスチャット(Switch Online, Skype, Discordなど)、せめてテキストチャット(TwitterのグループDMなど)が必要でしょう。

 これらのチャットを使わず、コミュニケーションしないでスプラ2をプレイできるのは、学生さんなら毎日学校で顔を合わせていて、ゲームをする以前によほど信頼関係が完成されているか、大人だったら自分のパートナーとの信頼関係くらいなら、チャットは必要ないかもしれません。

 

無言というコミュニケーション

 顔見知りでない、信頼関係が十分築けていない人たちとプライベートマッチで遊ぶときに、無言を貫くことは、何も言わない・伝えないということではなく、相手が何かを受け取ろうとしている場合、無言でコミュニケーションしていることになります。

 自分の無言として投げたボールが、相手にとって最悪の想像産物で補完されて、相手とキャッチボールすることにもなりえることを知っておいてください。

 だからと言って、不必要にしゃべる必要もないと思います。最低限のあいさつだけでも、十分だと思います。

 

おわりに

 私がホストになって定期的にお呼びしている方たちは、最初から十分な信頼関係があった訳ではないと思っています。

 ただ、同じウェブサービスを使っていた間柄という、言葉にするのが難しい空気感を共有できる人たちであると信じて私が声をかけ、スプラトゥーンで遊ぶことを通じて、お互いの信頼関係が出来きつつあるのだと思っています。

 もちろんこのことはバイアスがかかっていて、今回私が書いたようなことを重苦しく思って離れていった人もたくさんいます。

 今回書いたことは、あくまでも私が経験し、ROMしてきたことを元に書いています。こういうことも書いた方がいいんじゃない?ということがあれば、ぜひご指摘ください。

中身と外観

 アートコンペに出していた写真が選外になりました。良くないけど、まあいいのです。(負け惜しみだけど)

 写真で賞が欲しいと思ったり、お話を書いて有名になりたいと思ったり、「人並みの欲が、自分にあるんだな~」と改めて思いました。

 が、大事なのは賞をもらうことでも、有名になることでもないのではないか、とも思うのです。(負け惜しみもあるけど、割と真剣に)

 大事なのは、写真なら自分が見たい世界を写真に写し撮ること、小説なら自分が読みたいお話を書くこと、なんじゃないかなと。

 そういうことをよく忘れるので、今日は書いておきます。

 

見ない世界を見えるように

 よく初めてカメラを持った人が、目に見えてる通りに写真に記録できない、と嘆く話を聞くことがありましたが、私からするとそうじゃない、という話でもあるのです。

 私はそういう人に、カメラを使いこなせるようになることで、自分の眼に見えている状態と差がないような写真が撮れるようになると話していたかもしれません。それは嘘じゃないです。

 でも眼に見えるままの写真は、カメラの撮像素子の性能からして、人間の眼と同等の性能は今のところない。(カメラの撮像素子は、まだまだ人間の眼に遠く及ばない性能です。)

 だから、目の前の世界をそのまま写真にするのではなく、自分の頭の中にある「創りたい写真」を目指して、シャッターを切るのが、いいカメラの使い方なのではないかなと思うのです。パウル・クレーのいう「芸術は見えないものを見えるようにする」ですね。

 もちろん、自分の記憶を補完するために写真を撮る、記念写真や食事写真がダメだ、と言いたい訳ではないのですし、私も写真係を頼まれれば、記録に徹します。

 小説のことは詳しく書けるほど知らないのですが、写真のそういう部分、頭の中にある素敵なお話をうまく言葉にできないという壁の前で、もがいてこその小説なのかな?と思っています。

 私はまだ構想したものを、きちんとお話にまとめることもできませんが。

 

創作活動の流れ

①発想と動機
②表現形式
③文法
④構成
⑤技術
⑥外観
マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論より)

 創作活動の流れは、①から入る人もいれば、⑥から入る人もいるらしいです。

 私は⑥外観から入るタイプで、自己認識では写真なら④構成くらいまで行っている気はします。

 私が写真でも小説でも、現状に満足が行かないのは、①の「どうしてそれを創ろうと思うのか」、ということが捕まえられていないからかなと思うのです。

 つまり、私の創っているもの(写真や小説)は、⑥外観は人目に耐えられるかもしれないが、中身がないと感じているのです。

 そして、自分から誰かに伝えたいことは、本当にあるのかな?と思うのです。

 私にとって、①発想と動機、は目指す最終地点でしょう。(無いのかもしれないけど)

 でも今手を付けている写真や小説以外の②表現形式、例えば絵を描くことであったり、音楽をつくることであったり、書を書くことが、自分にとって最適な表現形式なのかもしれません。(そこを迷うのかよ、と言う話でもありますが)

 もっと若いころに、いろいろな表現方法を勉強しておけばと言っても始まりません。人生の残り時間も多くはないです。1度きりの人生で、使う時間を分散せるのは、いい戦略ではない。


今後

 私がお話を書くときは、プロットを書きます。そのために、ある程度の読書をします。

 読書をしても、いろいろな迷いは断ち切れないでしょうが、いい戦略がみつかもしれないという期待はあります。

 日々の作業はありますが、しばらくは、この先の戦略を見つけるための読書をしようかなと思っています。

アンケート結果を受けて

アンケートの結果

 先日、ツイッターとハイクでアンケートを取ってみた。今後、私に継続的に取り組んでほしいことは何か?という内容だった。

 結果は、「今後も写真を続けてアップしてほしい」が1位となり、次いで「同人文芸執筆・ブログを続ける」となった。

 自分が集中的に時間を投下してきたものが、それなりに自分の看板として認知されているということが、嬉しい。

 

続けることの難しさ

 しかし、写真を今以上に頑張るというのは、実際のところ難しい。

 写真歴は9年になるので、手が付けられそうなところは、だいたい手を付けてきたからだ。つまり、写真で今以上の大きな伸び代が、見えない、予感できないということ。

 だからと言って、写真のすべてをやりきったという訳でもない。今まで大雑把に下地を塗ってきた場所の、塗り残しを塗っていくことは出来る。あるいは、自分の強みをより磨いていくのも手だと思う。

 ただ、それが楽しいかは分からないけれど。

 

じゃあ方向転換できますか?

 続けることによって成長していく、伸び幅が大きいというのは、私にとって大きなモチベーションになる。となると、まだ歴が浅い同人文芸の方が、楽しめるのは確かだと思う。

 ではここで、思い切って舵を完全に切ってしまうか?というと、それもまたできない。

 写真は自分がこれまで生きてきた人生の中で、一番長く続けられている趣味だからだ。

 自分は子どもの頃から飽きればそれまでという考え方をしていたが、写真に関しては当初からかなり波長の合った趣味であると自覚していて、失明するか、身体の自由が利かなくなるときが、写真の止め時だとかなり最初の方で決めたからだ。

 そして「ただ撮りたいから撮る」が楽しく継続できているにからということもある。

 ただ悲しいかな、今以上の成長は見込めないだろう、と言うだけだ。

 この辛さが人生なのかもしれない。

 

プロになれないから辛い?

 これ以上大きな成長が見込めないという人生の辛さ。これは端的に言って、プロの世界に行けない辛さなのではないかと思う。

 でも写真のプロになれなければ、写真を続ける意味がない、とは思っていない。

 プロ野球に対して草野球があり、プロの俳優がいて市民劇団の俳優がいるように。

 自分の中で、どこか写真のアマチュアではダメだという感覚があるのか、またはアマチュアとして誇りを持てていないのかもしれない。どこかでプロとアマの貴賤の差があると、思っているのかな。

 自分の中の気持ちを正していかないと、写真の楽しさが減ってしまうだろう。でもこれもやりすぎると、ただの老害なので、バランスなんだろうけど。謙虚に、誇りを持って写真を続けていく、ということなのかもしれない。

 今活動している、社協の広報のボランティア活動が、もう少し花開いたら、また違う感覚になるといいな。

 

同人文芸も…。

 そして同人文芸の方は、まだまだ初心者なので伸び代は大きいと予感しているので、続けていくつもりだ。だがこちらは、5年、10年と続けていく自信がない。

 それは、自分が書きたいと思っているお話のネタが、あと2, 3個だろうと思っているからだ。

 写真はAを撮っていたら、Cにたどり着いて楽しんでいたということができる腕くらいはあると思っている。

 しかし同人文芸については、まだまだそんなウデマエがないので、ネタが切れるまで愚直に書くしかできないし、ネタが無くなったらそこで終わりだろうと思う。 ネタがポツポツとでも思い浮かぶようになれば、儲けものだという構えで書いている。

 書く方は伸び代は大きい予感はしているが、どう伸びる方向があるのか、全然見えていない。

 だから、こちらも辛い。だから、ただ書くしかできない。

 白いノートや画面に、文字を叩き込んでいく楽しさが少しわかるくらいが現状で、お話が膨らんだりすることを経験していけば、また違った楽しさが出てくるかもしれない。

 お話を書くのには、図書館で資料を集める手間が必要だったりするが、基本は文字を書くだけなのでお金があまりかからない趣味だ。ネタ切れになるまでの、時間つぶしにはいいかと思っている。

 

けっきょく?

 ツイッターとハイクで、アンケートに回答していただいた方が20人を超えた。というだけで、ありがたい話です。お手数をかけてくださってありがとうございました。

 写真と同人文芸のウェイトのかけ方は、今後の活動を見守っていただければと思います。

 自分の根幹に持ちたいのは、自分が面白がったり、楽しんだことを、自分以外の人にも喜んでもらえたかな?ということです。(この順番は大事ですが)

 自分にも分からない答えを探して、粘土をこねくり回し、粘土がなりたかった形をこれからも探していきたいと思います。

 宙模様が変わる前日に、だらだらと書いてみました。お付き合いいただきありがとうございました。