ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

自分年表からの選択と集中

 千葉雅也「勉強の哲学」を読んだのは少し前だが、本に出てきた自分年表はそのとき作ったものの、振り返りをしていなかった。

 自分年表は、自分が人生をかけて勉強するテーマを、仮決定する指針となるものとして、本に登場してくる。やりたいことが見つからないという人にも、参考になる手法だと思う。

 下半期に入ったので、いったん自分が今時間をかけて作業しているものを見直してもいいと思い、自分年表を見返してみた。

 

 年表からキーワードとして浮かんできたのは

子どもの頃の

●「動物好き」

●「絵を描くのが好き」

●「色鉛筆やサインペンの色が沢山あるのが好き」

学生の頃の

●「自他の境界線が気になる」

ということが大きいと感じた。

 

 そこから出てきた仮のテーマは

●絵を描くことと多色から「色彩と構図」

●境界線から「モノの要素への注目」

●あとはぼんやりと「生物の輝き、光、夢の中」

というあたり。

 出てきた仮テーマの全体の雰囲気は、絵的なモノのように思われる。

 

 人生の残り時間で、これらのテーマを完成させることは出来ないが、進めて行くことは出来ると思う。

 そこで、集中と選択。つまり今時間をかけている作業を見直すなら

 

  1. お話を書くことは優先度を下げる。
  2. 写真は路上スナップではなく、植物や動物を撮ることをメインにする。
  3. コラージュは、もうちょっと力を入れる。
  4. 絵を描くようにしてみる。

 

ということになる。

 

 ここしばらくアレもコレもと、やってみたいことに手を付けてきたが、時間とお金は有限である。残り時間は多くない。

 自分の追い求めるテーマを可視化できたので、今後はそれに沿った活動に集中していきたい。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

いろいろ川柳 #14

お久しぶりの川柳になります。

4月以降の写真だから、桜の咲いていたころですね。

 

まっすぐに伸びない道が花咲かす

わからない距離を大事にしたいなと

節の数だけクライシスあるのかも

咲き誇る花だけ見れば労知らず

階調を空(くう)と言える日来るのかな

きらめきが春に流れて騒ぎ出す

裏切らず日向に咲くの運命だ

空に咲く平和の証風に揺れ

目一杯見せる姿を通り過ぎ

ただここに遊び相手をじっと待つ

 

では、今回はこのあたりで。

ボランティアとは

 大型連休の間に、ジャズフェスの撮影ボランティアをしてきた。

 そもそも「ボランティアとはなんぞや?」と思うことがあったので、メモを残しておきたい。

 ここに書くことは、私にも非があったが、ジャズフェスのボランティア受け入れにも非があったと感じたことである。

 

概要

 まず私は3月くらいにこのジャズフェスの目的や、撮影ボランティアの目的についてメールで質問していたが、待てど暮らせど返事は来なかった。

 本来なら返事が来ない時点で、このボランティアへの参加を見送るべきだったのだと、終わってみて思う。

 しかし、どんなボランティア活動なのか興味があったため、4月の末にホームページの募集フォームから、参加申し込みをした。

 本当ならボランティアの説明会に参加するべきだったのだろうが、都合がつかず、フェス開催前にバタバタと必要な撮影機材など実務的なメールのやり取りをして、当日となった。

 

 当日朝の打ち合わせ&顔合わせで渡されたペライチの紙に、注意事項が書かれており、口頭でも説明を受けた。

 その中で驚いたのが、担当する会場で20枚セレクトできるよう撮影してほしいなど、割と仕事のような撮影を求められたことだった。

 私には、必要なカット数を指定されて撮影した経験がなく、「難しそうだ」と思いつつも、何とか頑張ってみることにした。

 

 フェスが始まってみれば、会場がお客さんで満員で入れないことがとても多く、また会場に入れてもお客さん優先なので、自由に立ち位置を変えられなかった。私からすると苦戦続きだった。

 何とか会場に入れて、立ち位置で変化をつけられる会場がないかと、8時間歩き回った結果が、たった2会場の写真だけだった。

 

 やっぱり自分には荷が重かったとがっかりするとともに、歩きすぎて両足にマメを作ってしまった。

 それでも翌日も8時間撮影したが、枚数は前日の1/4くらいになってしまい、全然振るわない結果になってしまった。

 

考察

自分の反省点

 はたして、足にマメをつくってまで頑張る必要はあったのだろうか?終わってから思ったのは、少なくとも2日目は休んでもよかった。

 が、撮影ボランティアは6人くらいで、40近い会場を分担して撮影していた。自分が休むと全体の撮影に影響がでて迷惑をかけてしまうと思った。しかし終わってみれば、足を負傷して撮影が十全にできない方ことで、迷惑をかけてしまった。

 また、撮影班のリーダーに足を負傷したことを伝えるべきだったとも思う。

 私の反省するべきは、こういうことだろうか。

 

ボランティアとは?

 一方で思うのは、これはボランティアと呼べる活動だったのか、ということだ。私には無償作業だったのではないかと思える。それは、人手さえあればいいというスタンスを感じたからだ。

 ボランティア活動をそういう印象にしないためにも、オリエンテーションが重要なのだと思う。

 ボランティアをすること、またボランティアを受け入れる上で大切なのは、お互いの信頼関係がある上で、活動するということだ。

 今回、私は説明会に参加しなかったので、オリエンテーションを十分受けていないのは私の手落ちでもある。でも、説明会に参加していない人間に対して、何らかの資料を送付すること、また顔を合わせることはできるようにしないと、信頼関係がないまま活動をするのであれば、ただの作業と変わらないのではないか。

 ボランティア活動は無償であることが多いが、それはお金・地位・名誉が要らない便利な人手なのではなく、信頼や笑顔を力に頑張れる活動だと思う。

 今回参加したボランティア活動で、残念ながら私はそういう経験をできなかったのだろう。

 

終わりに

 ボランティア活動をすれば、誰もが素晴らしい経験ができるとも思わない。素晴らしいという感覚が持てるかどうかは、人それぞれだと思う。

 私の場合は、私の持っているスキルでお役にたてて、ボランティア活動の人間関係ができ、活動が終わったときに「楽しかった」と思えることが、ひとつの基準のように思う。

 しかし平時に存在する、さまざまなボランティア活動の受け入れは、必ずしもそういった基準を満たすものではないらしい。

 

 ボランティア活動は、年齢、性別、心身の状態に関係なく、住民の立場から地域社会のことを考えて自ら関わることができる活動である。誰もが手を差し伸べる側になり、また差し伸べられる側にもなる。そういう人間関係を体験すること。(後藤光弘さん)

 

 私にとってボランティア活動は、自分が社会や仲間から分断されていると感じる気持ちが、活動を通してさまざまな人と関わることで、「本当に分断されているの?」という見直しをすることができるものだと思う。

 家庭、職場や学校の人間関係では出会えない人間関係が、ボランティア活動にはあって、そういう自分の人間関係や価値観を撹拌する楽しい活動なのかなとも、ぼんやり思っている。