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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

ボランティアとは

 大型連休の間に、ジャズフェスの撮影ボランティアをしてきた。

 そもそも「ボランティアとはなんぞや?」と思うことがあったので、メモを残しておきたい。

 ここに書くことは、私にも非があったが、ジャズフェスのボランティア受け入れにも非があったと感じたことである。

 

概要

 まず私は3月くらいにこのジャズフェスの目的や、撮影ボランティアの目的についてメールで質問していたが、待てど暮らせど返事は来なかった。

 本来なら返事が来ない時点で、このボランティアへの参加を見送るべきだったのだと、終わってみて思う。

 しかし、どんなボランティア活動なのか興味があったため、4月の末にホームページの募集フォームから、参加申し込みをした。

 本当ならボランティアの説明会に参加するべきだったのだろうが、都合がつかず、フェス開催前にバタバタと必要な撮影機材など実務的なメールのやり取りをして、当日となった。

 

 当日朝の打ち合わせ&顔合わせで渡されたペライチの紙に、注意事項が書かれており、口頭でも説明を受けた。

 その中で驚いたのが、担当する会場で20枚セレクトできるよう撮影してほしいなど、割と仕事のような撮影を求められたことだった。

 私には、必要なカット数を指定されて撮影した経験がなく、「難しそうだ」と思いつつも、何とか頑張ってみることにした。

 

 フェスが始まってみれば、会場がお客さんで満員で入れないことがとても多く、また会場に入れてもお客さん優先なので、自由に立ち位置を変えられなかった。私からすると苦戦続きだった。

 何とか会場に入れて、立ち位置で変化をつけられる会場がないかと、8時間歩き回った結果が、たった2会場の写真だけだった。

 

 やっぱり自分には荷が重かったとがっかりするとともに、歩きすぎて両足にマメを作ってしまった。

 それでも翌日も8時間撮影したが、枚数は前日の1/4くらいになってしまい、全然振るわない結果になってしまった。

 

考察

自分の反省点

 はたして、足にマメをつくってまで頑張る必要はあったのだろうか?終わってから思ったのは、少なくとも2日目は休んでもよかった。

 が、撮影ボランティアは6人くらいで、40近い会場を分担して撮影していた。自分が休むと全体の撮影に影響がでて迷惑をかけてしまうと思った。しかし終わってみれば、足を負傷して撮影が十全にできない方ことで、迷惑をかけてしまった。

 また、撮影班のリーダーに足を負傷したことを伝えるべきだったとも思う。

 私の反省するべきは、こういうことだろうか。

 

ボランティアとは?

 一方で思うのは、これはボランティアと呼べる活動だったのか、ということだ。私には無償作業だったのではないかと思える。それは、人手さえあればいいというスタンスを感じたからだ。

 ボランティア活動をそういう印象にしないためにも、オリエンテーションが重要なのだと思う。

 ボランティアをすること、またボランティアを受け入れる上で大切なのは、お互いの信頼関係がある上で、活動するということだ。

 今回、私は説明会に参加しなかったので、オリエンテーションを十分受けていないのは私の手落ちでもある。でも、説明会に参加していない人間に対して、何らかの資料を送付すること、また顔を合わせることはできるようにしないと、信頼関係がないまま活動をするのであれば、ただの作業と変わらないのではないか。

 ボランティア活動は無償であることが多いが、それはお金・地位・名誉が要らない便利な人手なのではなく、信頼や笑顔を力に頑張れる活動だと思う。

 今回参加したボランティア活動で、残念ながら私はそういう経験をできなかったのだろう。

 

終わりに

 ボランティア活動をすれば、誰もが素晴らしい経験ができるとも思わない。素晴らしいという感覚が持てるかどうかは、人それぞれだと思う。

 私の場合は、私の持っているスキルでお役にたてて、ボランティア活動の人間関係ができ、活動が終わったときに「楽しかった」と思えることが、ひとつの基準のように思う。

 しかし平時に存在する、さまざまなボランティア活動の受け入れは、必ずしもそういった基準を満たすものではないらしい。

 

 ボランティア活動は、年齢、性別、心身の状態に関係なく、住民の立場から地域社会のことを考えて自ら関わることができる活動である。誰もが手を差し伸べる側になり、また差し伸べられる側にもなる。そういう人間関係を体験すること。(後藤光弘さん)

 

 私にとってボランティア活動は、自分が社会や仲間から分断されていると感じる気持ちが、活動を通してさまざまな人と関わることで、「本当に分断されているの?」という見直しをすることができるものだと思う。

 家庭、職場や学校の人間関係では出会えない人間関係が、ボランティア活動にはあって、そういう自分の人間関係や価値観を撹拌する楽しい活動なのかなとも、ぼんやり思っている。

割り切るのではなく、腹を決めるつもりで

 ジリ貧の生活を過ごして何年?という日々だが、そろそろ腰を上げてみようかという気分が入ってきた。

 実は去年も腰を上げたことはあったが、うまく続かなかった。

 小銭を得るために、何も楽しくもなく、何も身につかない、そしてよく知りもしない人と人づきあいを続けることは、私にはしんどい。

 

 仮にそういうつまらない仕事を我慢して続けても、遅かれ早かれ悪い状態に逆戻りになるだろう。

 また「無職に飽きた」という理由で働き始めると、いつか「働くことに飽きた」となりそうで、これも良い手ではない。

 誰かに「生活とは小銭を稼ぐことなのだから、つべこべ言わず働け」といわれ、「しょうがないか…」で働くのは、最も悪手だ。

 そうやって大人の常識というヤツで自分を割り切って、心に楽をさせて、お金のことだけ考えて働いても、私は何も楽しくない。

 

 何のためにお金を稼ぐのかということをぼんやりさせたまま、ただお金を手にして、ストレス発散でお金を使う生活に入っていくと、そのサイクルを回すお金と生活に追われて苦しくなるのかもしれない。

 

 今のところ自分は、同人活動と写真を続けるための活動資金として、お金が必要なようだ。

 今の自由時間溢れる生活から、時間を渡してお金を手にすることは、バランスを崩すと仕事一辺倒になりそうで怖いが、同人活動をしている半分くらいの人は、仕事をしつつ同人活動も続けている。自分もそういう活動を始めていかないと、活動資金がもうない。

 食い扶持を維持するため、また自由な活動資金を得るために仕事(ライスワーク)をし、自分の人生を使ってやりたいこと(ライフワーク)も続けられるようにしたい。

 

 「しょうがないから…」という割り切りで、心を楽にするために始めるのではなく、「これで行くか!」というシンドクなるかもしれないが、腹を決めることが大事なのかもしれない。

 腹を決めてどうなるかは分からないが、リハビリから始めるつもりだ。

エクスペンタブルズ2

映画の続編はあまり面白くないだろうなと思いつつ観た。

結論としては、前作より遥かに面白い娯楽映画になっていた。

映像もお金が掛かっているし、脚本も前作より面白くなっている。

前作が同人誌作品なら、今作は商業誌デビュー作品だろう。

時の人だった有名俳優の人数は前作より増量してあるし、見ごたえはバッチリ。

アクションシーンでちょこちょこ笑わせてくれたのが、何よりのサービスだと思った。

 

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