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ウサギノオト

ぼんやりした考えを、コネコネしてみる。

いろいろ川柳 #13

川柳 写真

 こんにちは。ずいぶんお久しぶりになってしまいました。

最近、また川柳をポツポツと詠んでいます。今回は、最近のダイジェストから。

 

公平がどういうことか知らぬまま

 

じっと待つ闇が自分を生かすから

 

どこかへは続くのだけど終点へ
 
沈むときどこで浮くのか知らずとも
 
嫌われても変わらぬ価値があるはず
 
どこまでも手伸ばす覚悟難しく
 
寝ていても覚めた後でも良い夢を
 
旅に出て新しい人になりたい
 
輝きが獅子のように駆け出して
 
明日には新しい息を吸うのだ

 

 

 相変わらず川柳が何なのかは分かりませんが、またポツポツ詠んだものをアップするかもしれません。その時は、またチラッといらしてください。

 では、また。

過剰さ

趣味 雑記

 何事もほどほどにやっていたら、何もつかめないんじゃないかというのは、ある種の焦りかもしれない。

 過剰な思い入れ、熱中、偏愛、どうしても時間を使ってしまうこと。そういう過剰さを2017年のテーマにしたいくらい、今は過剰さという言葉が気に入っている。

 どんなことも初心者のうちは、力加減が分からない。だから遊びでやるのも結構だと思う。

 でも、タモリさんの名言「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」は至言だと思う。そういう暑苦しい楽しみ方もあることを知っているだけで、モノの見え方が違ってくると思う。

 

一流じゃなくても

 自分の周りでは、過剰になれない人を見かけるが、そういう人から受ける印象は、①過剰になれるものが見つかっていないか、②どうせ頑張っても一流にはなれないというあきらめが最初から強い、というもの。

 一流の作品でなければという志を持つのは尊い。しかし、三流の作品しかできないと分かっていても、胸を張って三流のモノを出せるのも、やっぱり尊いんじゃないか。

 三流じゃ恥ずかしいから、モノを出さないとか、そもそも作品をつくらないとか、それでは何も手が付けられなくなってしまう。

 一流であるに越したことはないが、三流でも今の自分にできることはここまでだと出し切ること、そして次はより良いモノをつくるぞという気持ちを持つことが、大事だと思う。

 

おわりに

 全体が良く見えている状態で、目標に向かって真っすぐに進むということが、評価されやすい。

 しかし、趣味のこととなると、「それをやってどうなるの?プロにでもなるの?」と、ゴールも見えないし、小さな目標ですら掲げにくかったりする。

 視野が狭くなると、気づけば寄り道ということも多いかもしれない。

 でも、効率と早さを目指すのは経済活動だけで十分だ。人生は深さと成長を目指したい。そのための熱中であり、過剰さ。

 あなたは2017年、何を過剰にしたいですか?

特殊性をウリにしない写真とは

写真 雑記 趣味

 先日、写真の話をした時に、ふと思うことがあった。

 それは、私は一見普通みえるモノの中に、その人らしさを見出したいのだな、ということ。そして、自分もそういう写真が撮りたい。なかなか難しいことだろうけど。

 今の時点で特殊な技術や道具、仕上げを必要とするものは、時間が経ち、技術が発展すれば、陳腐なものになってしまう。


 フィルムカメラで写真を撮っていた時代は、きれいな写真を撮ること自体が、すごい技術だった。でもデジタル主流の時代になり、きれいな写真を撮ることは、カメラ任せでもそれなりにできるし、ある程度練習すれば誰だってできる時代になったように。

 特殊な場所で撮る場合も、同じこと。きれいな写真が撮れる場所は、写真が撮れるというより、場所に撮らされている可能性があることを忘れないようにしたい。

 

 自分だけの特殊な条件が一般化して、アドバンテージが無くなったときに、つまらなくなってしまうなら、考えるべきことはもっとシンプルかもしれない。

 たくさん「いいね!」がもらえる写真を目指すような、他人の目を気にすることではなく、ただ「自分が好きなものを集める、過剰に」ということなのかな。

 私は、「過剰に」というのがミソだと見込んでいる。